川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」

日本ほど穏やかな国は世界でもまれ
1週間で80台が放火されたベルリンに横行する「暴力」

若者が暴れるのはロンドンだけじゃない

2011年08月26日(金) 川口マーン惠美
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 8月15日より、ベルリンで深夜に車が炎上する事件が頻発している。21日までの一週間で、約80台が黒焦げになった。車に放火するのはいとも簡単だそうだ。小さな点火棒かマッチでタイヤに火を点ければ、数秒で燃え始めるらしい。真似をする馬鹿なヤツがさらに増えると困るので、警察がジャーナリストに「それだけは書いてくれるな」と頼んだのが2009年という。つまり、車を狙った放火は、今に始まったことではない。

 ドイツでは、車輛登録の際に駐車場の有無は問われない。路上駐車が禁止されているのは、町の真ん中などわずかの地域だから、ドイツ中のたいていの道路はびっしりと車が停まっている。しかも、深夜の住宅地は人通りが絶えるので、生贄の車を探すのは簡単だ。

 16日以降、ベルリン警察は150人の警官を動員してパトロールを強化しているが、市内の道路の全長は5400キロもあるし、登録されている車は100万台を超えるので、たまたま放火現場に居合わせるなどということは至難の業だ。17日の夜からは、熱源を察知する装置を搭載したヘリコプターまで飛ばしているらしい。しかし、犯人は1人として捕まらない。犯人像や犯行の動機なども、全く分かっていない。

 元はと言えば、自動車放火は、ドイツ極左の得意技として知られた犯行だった。2009年に頻発したときは高価な車が狙われ、ときには犯行の声明などもあった。ドイツには、暴力行為に及ぶことを辞さない極左が6300人いると言われているが、そのうちの1100人はベルリンに巣くっているそうだ。

すでに今年だけで250台が放火で炎上

 ベルリンは、元々左翼の強い地域で、歴史をさかのぼれば、ドイツ帝国時代にビスマルクが"アメと鞭政策"を敷いたのも強い左翼を懐柔するためだったし、第一次大戦後には、やはりベルリンを舞台に、共産党、社民党、保守の三つ巴で激しい内乱が起こった。リープクネヒトやルクセンブルクといった共産党の中心人物が虐殺されたのも、この時期だ。

 現在のベルリンの政権(ベルリンは特別市で独自の議会を持っている)もその伝統を受け継ぎ、社民党(SPD)と左翼党の連立だ。左翼党というのは、旧東独の独裁政党であった社会主義統一党(SED)の生き残りがおり、名前の通り、正真正銘左寄りの党だ。社民党が労働者の党であることをやめて、中道左派というエリート道を歩み出してすでに久しいので、左翼党は、現在ドイツの国会で議席を持つ唯一の労働者の党といえる。

 基本的に、資本主義が大嫌いという人たちの集まりなので、当然のことながら旧東独で支持者が多い。というわけで、ベルリンの昔ながらの伝統と、現在の左寄りの政権が、極左の行動を仄かに容認する空気を生み、車の放火に対しても今まで徹底的な対策が取られていなかったのではないかとの疑いも出始めている。

 放火は10年に下火になっていたが、ベルリンでは今年すでに250台が犠牲になっている。尋常ではない。ただ、先週の連続大量放火には、おそらく政治的な動機は希薄で、大半は悪質な物まね愉快犯だろうという見方が強まっている。物を破壊して憂さ晴らしをするならず者たちの仕業だ。

 ドイツ人には、自然を愛する牧歌的なイメージ、また、オクトーバーフェストといった陽気なイメージがあり、確かにそれも一面だが、しかし、彼らがいつも皮の半ズボンをはいて大声で歌っていると思ったら大間違いだ。ベルリンは、川や湖や森があり、閑静な住宅街がある美しい町である一方、公共の物を壊してやろうというエネルギーでパンパンに膨れた人間も、相当数潜んでいる。また、ベルリンだけでなく、美しい港町ハンブルクも暴力沙汰は非常に多い。

 暴力の台頭はベルリンやハンブルクだけではない。たとえば、ロンドンなどイギリスの大都市でも、つい最近、何千人もの若者が暴徒化し、店が壊され、物が盗まれ、挙句の果て、車だけではなく大きな建物が次々に燃え上がった。死者も出ている。ただ、わからないのは暴力の動機だ。「ムシャクシャして」と言うのは理由にならない。「父親がいなくて、貧困で」というのも理由にならない。日本にも貧困で父親のいない子供はいるが、皆でビルに火を点けたりはしない。

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