首相秘書官も官房副長官も機能不全で菅官邸は「危機管理能力ゼロ」
過去の危機対応マニュアルもいかせず
2010年11月25日 朝日新聞

 菅直人"民主党"政権は、危機管理のうえで行き詰っている。首相官邸の外交・安保面での拙さと民主党執行部の野党対策のお粗末さが「政権の危機」を招き起こした。

 先ず、官邸から。11月23日午後に発生した北朝鮮軍による韓国北西部・延坪島砲撃事件における官邸の初動対応の稚拙さについては、朝日新聞に「空白の90分」と報じられた。

 官邸地階にある内閣危機管理センターに第一報が入ったのは、北朝鮮人民軍砲撃部隊が砲撃を開始した午後2時34分から約30分後の午後3時10分過ぎだった(情報源は防衛省統合幕僚監部情報本部と思われる)。仙谷由人官房長官が内閣危機管理センターに情報連絡室の設置を瀧野欣彌官房副長官(事務担当)に電話で指示したのは3時20分。

 決して遅い対応ではない。だが、当日は祭日だったため、公邸にいた菅首相に事件発生が山野内勘二首相秘書官(外務省出身)から寄せられたのは午後3時30分ごろ。首相が公邸から官邸に移り仙谷官房長官らと協議を開始したのが午後4時44分だった。

 だが、同首相は公邸待機中に誰に電話することもなく、また誰からも詳細の報告がなかった。それだけではない。その後、安全保障会議(議長・菅首相)を召集していない。

 問題は、二つある。ひとつは、首相の政務秘書官がまったく機能していないことである。現在の岡本健司首相秘書官(政務担当)は、菅首相が野党・新党さきがけ時代の党職員である。第一期民主党(所謂「鳩菅民主党」)を経て現在の民主党まで一貫して"菅担当"の党職員プロパー出身者なのだ。残念ながら同氏は、官邸周辺で「カバン持ち兼ボディガード」と揶揄されているのが実状だ。

 小泉純一郎政権下の2001年の「9・11同時多発テロ」発生時のエピソードを知れば、首相秘書官(政務担当)に何が求められているかが分かる。

 当時、「もう一人の官邸の主」とまで言われた飯島勲首相秘書官(政務担当)は事件発生(日本時間・9月11日午後9時45分)直後、その日の所在を掌握している主要閣僚と自民党役員に緊急連絡・概要説明し、官邸内に設置した対策本部に何時でも出動できるようにして欲しいと、首相指示を伝えていた。

 事実、小泉首相はテロ事件発生から2時間半余り後の12日午前零時19分に内閣危機管理センターに事件対応の本拠を移し、関係閣僚・自民党幹事長ら党3役、官邸の主要スタッフを集めて陣頭指揮の構えを取った。そして官邸で安全保障会議を開いたのは夜が明けて午前9時30分だった。

 さらに指摘すべきは、官房副長官(事務担当)の機能不全である。霞が関官僚の頂点に立つ官房副長官(事務担当)は、昨年9月の民主党政権発足までは週2回開かれていた閣議前日の各府省庁事務次官会議を主宰するなど、まさに官邸機能の中枢に位置していた。

 ところが、「政治主導」の名の下に事務次官会議は廃止され、その役割と権限は大幅に削られた。今回の砲撃事件発生についても、本来であれば、瀧野官房副長官が直ちに外務、防衛両省、そして警察庁のトップを非常召集し、情報収集・分析を行ったうえで初動対応策をまとめ、官房長官に報告したうえで情報連絡室を立ち上げるべきだった。

「自公」へ舵をきった公明

 加えて、瀧野副長官のもとには「9・11同時多発テロ」をはじめ北朝鮮工作船による能登半島沖侵犯事件と奄美大島沖銃撃事件などの教訓から作成された危機対応マニュアルが歴代官房副長官から引き継がれているはずだ。岡本首相秘書官(政務担当)が第一に為すべきことは、まさにこのマニュアルを首相のいる公邸に持ってこさせることだった。

 岡田克也幹事長ら民主党執行部が終盤国会で10年度補正予算案を巡る攻防と、仙谷官房長官と馬淵澄夫国交相に対する問責決議問題についての自民党と公明党の出方を見誤ったことは大きかった。危機管理の原則はワーストシナリオの作成から入ることである。それを楽観的見通しから始めた。

 即ち、仙谷氏は大島理森自民党副総裁、井上義久公明党幹事長にパイプがある、枝野幸男幹事長代理が石原伸晃自民党幹事長と頻繁に接触していることを過大評価したのだ。

 特に、公明党が来春の統一地方選までは「民公」ではなく「自公」を選択したこと、そして大島・石原ラインが自民党内の主戦論を抑えられないことを読み切れなかった。菅政権にはもはや出口がないように見える。

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