緊急特集 「北が攻めてくる!」
これは、第2次朝鮮戦争だ
11・23北朝鮮が韓国・延坪島を砲撃。死傷者20名以上、市街地が戦火に包まれた。 「衝撃の現場」写真、そして金正日・正恩が「次の軍事作戦」を仕掛けてくる。
砲弾により円形にえぐられた道路脇の壁。北朝鮮の放った砲弾のうち約80発が陸上に着弾した

[写真:菊池雅之]

 11月23日午後2時34分。誰しもが忘れがちな事実を突きつけられた。1953(昭和28)年に朝鮮戦争は終結し、韓国と北朝鮮の2国間は「休戦」した。だが決して、戦争を止めたわけではない。

「瞬間、死ぬかと思った。死んでしまいそうだった」「家の中にいたのだが、急にクァンという音がして外に出てみると、村中が火の海と化していた」「急に車の上でパパパッという音が鳴って、砲弾が飛んできて、車の下に避難した」

延坪島の防空壕に逃げ込んだ島民。砲撃直後に島を脱出したのは約400人で、多くは防空壕で夜を過ごした

 南北朝鮮の軍事境界線にあたる北方限界線(NLL)の南約3kmに位置する延坪島(ヨンピョンド)の住民や、島への訪問者がメディアに語った恐怖の声が示すのは、戦闘状態に非戦闘員が巻き込まれたという事実だ。

 人口1800人弱、約7km2の小さな島が、この日、戦場となったのだ。陸上への攻撃は休戦後、初めてとなる。吹き飛ぶ民家、逃げまどう人々---それはまさに第2次朝鮮戦争と言える光景だった。

仁川港から救急車で運ばれる負傷した島民。翌24日には、砲撃で民間人2人が死亡していたことが判明した

 この日、韓国軍は黄海で射撃訓練を行っており、午前8時20分には北朝鮮が訓練中止を求めている。そして北朝鮮は突如、延坪島に向けて砲撃を始めた。

 撃ち込んだ170発のうち80発が命中。韓国側も砲弾80発余りを発射して応戦した。約50分間の交戦による被害は、11月24日午後8時現在、韓国の海兵隊員2人、そして民間人2人が死亡。

 負傷者は20人に上る。被弾やそれに伴う火災などで破壊された家屋は70軒以上で、924世帯のうち420世帯が停電状態と発表されている。

テレビの速報で知った危機

 軍事ジャーナリストの菊池雅之氏は、今回の戦闘の中で、北朝鮮が20分程度砲撃を行った後、一時中断し、再び撃ち始めた点に着目して、こう分析する。

「韓国陸軍が反撃に使用したK9155mm自走榴弾砲(りゆうだんほう)の精度が高かったことが窺うかがえます。風速・気温などを自動計算し、最適な弾道を導き出すコンピュータを搭載しており、射程は最大50km、1分間に6発の射撃が可能です。ほぼピンポイントで北朝鮮側の野砲を返り討ちにしたため、一時、砲撃が行われなかったのでしょう」

 朝鮮人民軍最高司令部は11月23日午後7時に「南朝鮮(韓国)の傀儡(かいらい)が祖国の領海を0.001mmでも侵犯すれば、ためらうことなく無慈悲な軍事的対応打撃を継続する」と公式見解を初めて述べたが、北朝鮮側にも甚大な被害が出たであろうことは想像に難くない。

 2国間の緊張が一気に高まる予兆は、すでに前週の末に日本政府に伝えられていた。ある外務省キャリアが証言する。

「北朝鮮は、韓国の軍事演習に強い警戒感を示していたため、今回の軍事行動について『その可能性がある』というレベルで、先週末に官邸に報告済みだ。警察庁も『警戒すべき状況』と進言していたと聞く。だが、失言により柳田稔法務相が更迭され、次は尖閣諸島の漁船衝突映像を封印した仙谷由人官房長官の問責決議案が提出されるか、という窮地にあって、菅直人首相をはじめ、誰も"それどころではなかった"というのが実情だ」

 11月23日は、皇居で新嘗祭神嘉殿(にいなめさいしんかでん)の儀が執り行われたため、閣僚は緩い禁足状態にあった。首相公邸にいた菅首相が南北の交戦を知ったのは、なんと、テレビだった。一般国民と変わらず、午後3時20分頃から各テレビ局が流し始めた緊急速報が情報源だったのだ。

「テレビの速報を見て首相も一大事と慌て、そこに外務省から事態を聞いた秘書官から、さらに情報が入ったという流れだ。断続的に映し出される映像を見て、菅首相は『おっ、着弾してるじゃないか。韓国領土に攻撃した』と興奮していたと聞いている」(先の外務省キャリア)

 この外務省キャリアによると、事態をテレビで知った直後、菅首相は、「北朝鮮が暴発? 根拠はあるのか? その規模は? 今は内政が最優先だ」

 と極度にイラついていたという。防衛省は砲撃が始まったのとほぼ同時の午後2時35分頃には異変を察知し、10分後には確認作業に入っている。その後、午後3時頃には外務省も把握し「南北が銃撃戦」との一報を官邸に入れている。だが、首相官邸の危機管理センターに連絡室が設置されたのは午後3時半近く。

 実際、菅首相は記者団に「3時半頃、秘書官を通して連絡がありました」と語っている。北澤俊美防衛相が防衛省に入って、すべてのメンバーが座るべき席に着いたのは、戦闘が始まって2時間半もたった午後5時過ぎのことだった。

「つまり、菅内閣は、現場から上がってくる情報ではなく、普段、目の敵にしているメディアを信頼して、非常時の態勢を作るということです」

 官邸周辺の官僚や記者が、皮肉を込めてこう言うのも、無理はないだろう。

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