スポーツ

最期まで“江川事件”に苦しめられた、
巨・神のエースの知られざる素顔

急逝 小林繁(享年57)「10億円借金と慰謝料」

2010年01月31日(日) FRIDAY
friday

「お金を払ってください」

 阪神時代の同僚・江本孟紀氏が語る。

「小林は試合でKOされると、みんなが帰った後もロッカールームに一人残り、ボールをグラブに叩きつけるようにして、『悔しい、悔しい』と繰り返していた。私がいくら『しゃあないやないか』と慰めてもやめない。最後は強引にロッカールームから連れ出したモンです。ファンに江川がらみでヤジられると、気持ちが沈む。でも、彼は江川のエの字も口にしない。『勝つんだ。悔しさをグラウンドにぶつけるしかない』と繰り返していた」

 阪神で小林氏とバッテリーを組んでいた若菜嘉晴氏も、苦しむ姿を見ていた。

阪神移籍1年目の'79年に歌手デビュー。オリコンで41位という異例の大ヒット 〔PHOTO〕講談社資料センター

「本当は阪神になんか来たくなかった、と漏らしていました。早く酔いたいから、酒はいつもブランデーのストレート。オンナにはモテたけど、孤独でしたね」

 '79年に『亜希子』で歌手デビュー。大阪・北新地に高級クラブをオープンさせ、『NEWS23』(TBS系)ではスポーツキャスターを務めた。テレビ制作会社など実業にも乗り出し、'95年にはプロレスラーの高田延彦らと『さわやか新党』を立ち上げ、党首として参院選比例代表区に立候補(結果は落選)。

 女性関係もハデだった。ノンプロ時代に結婚した最初の夫人とは'80年に離婚。その後、藤圭子、片平なぎさ、小柳ルミ子、中森明菜らの名前が次々に女性誌を賑わした。'92年には12歳下の社長令嬢と結婚―――まるで売れっ子タレントのような、華やかな経歴。だが、彼が放つ光以上に影は暗かった。

 元プロ野球選手が告白する。

「あの“悲劇のトレード”に際し、小林には慰謝料ともいうべき、巨額のカネが支払われていた。億単位だったと聞いています。そのカネと人気を目当てに怪しげな連中が群がり、小林を青年実業家に祭り上げた。結果、巨額の借金を抱えるハメになったんです。しかも、小林が裏書した手形が出回ったため、取り立てに追われる毎日。引退会見の時も、借金取りが会場に張り込んでいた。黒塗りの車が数台、待ち構えていたんです」

 「デイリースポーツ」の携帯サイトのコラム『淋しいヒーロー 小林繁』では、「お金を払ってください」というプラカードを手にした借金取りが甲子園までやってきたエピソードが紹介されている。

「自分で六法全書を勉強した」

 「ただ、彼は取材からは逃げなかった。借金について聞くと、『信頼していた社長に実印を預けていたせいで、1台数億円もする外車2台ぶんの負債をかぶることになった』と話してくれました。借金は10億円に膨れ上がった。キャスターとしてテレビに出演すると、その筋から電話がかかってくるので、降板を余儀なくされた。あれだけの選手なのに、コーチや監督として声がかからなかったのはそういう理由です。現役時代から親しかった梨田昌孝氏を頼って'97年に近鉄で球界復帰しましたが、優勝した'01年になぜか退団。これも借金が原因だったそうです。古巣阪神が優勝した'03年、自己破産しました」(スポーツ紙デスク)

 だが、その闘志は健在。福井県のゴルフ場の支配人、韓国のSKワイバーンズのコーチを経て'09年、梨田監督のもとで日本ハムの二軍投手コーチに就任。今季から一軍投手コーチに昇格していた。

 1月12日にはコーチ会議に出席。亡くなる前日には都内で日本ハム本社の商品展示会に出席。梨田監督やダルビッシュらと談笑していた。だが、しかし―――。

 プロ野球選手のお宝グッズ数千点が展示されている『山田コレクション』(福井市)の山田勝三館長も、小林氏の支援者の一人だった。

「沢村賞のトロフィーや巨人、阪神時代のユニフォームなど、さまざまなグッズを提供していただきましたし、日ハムのコーチになるまでは、うちで顧問をやってもらっていました。借金で大変だった時、弁護士を雇うカネがなくて、自分で六法全書を勉強したそうで、法律知識が豊富でした。一軍コーチになって、張り切り過ぎたんでしょうね。いろんな球団行事に参加して、寝る時間も惜しんで選手の研究をして・・・・・・。死の3日前に電話で話した時、『キャンプの準備をしている。遊びに来てください』なんて言っていたのが忘れられません」

 '07年には清酒『黄桜』のCMで因縁の江川氏と共演。「(心に張っていた)チェーンがとれた感じ」「残りの人生は少し変わったものになる」と屈託のない笑顔を見せた。だが、「残り」はあまりに短かった。

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