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トヨタ全力特集-2
昔のクルマのほうがカッコいいじゃないか!

40〜50年前のコンセプトカー

 編集部の写真を整理していたら、50年ほど前のトヨタのモーターショーモデルを発見。いうまでもなくクルマ社会が成長真っ最中の60年代。トヨタにデータが残ってないので詳細は不明だが、コンセプトカーといえばデザインが命。

 そのデザイン、いま見てもカッコいいクルマばかりだ。せっかくの財産だから現代に生かす手はないのか。カーデザインのプロ、前澤義雄がチェックする。

今の日本車を育んだドリームカーたち

1957 トヨタプロト跳ね上げ式のキャノピーを装飾したスポーツプロト。当時としてはかなり未来的なデザイン

 さて、今のトヨタデザインに至る50年の時空を遡り、当時のモーターショーに出品されたコンセプトモデルたちを(当時はショーカーと呼んでいたが)、やはり映像で振り返り、時代背景のなかでのネライや意義を見てみよう。

 まずは'57年のトヨタプロトだが、いちおうランニングプロトを作ってはみたもののセンスや技術が未熟、というような状況が覗え、デザインをあれこれいう段階には至ってない。

1962 パプリカスポーツ水冷700ccのエンジンを搭載したモデル。後方にスライドして開くルーフは来場者を驚かせたに違いない

 '62年のパブリカスポーツは、トヨタスポーツ800をベースとしたクーペバージョンのようだが、トヨタスポーツ自体が締まりのないヤワなデザインだ。

 航空機的で革新的だの、親しみの湧くスタイルなどと褒めちゃうシトもいるものの、ライバルのホンダSシリーズなどとはレベルが違うのだ。

 したがって、クーペにしたところでひ弱で存在感のなさは変わりなし。

1963 ドリームカーモーターショーで人目を引いたコンセプトカー。本文で前澤氏が離れているように、現代のミニバンに通じるものがある

 だが'63年には、スケールモデルながらドリームカーが透明なドームの中に展示されている。それを見ると単なるスタイリングの習作ではなく、例えば後のミニバンに繋がっていきそうな、ひとつのコンセプトに基づいたデザインとしてとらえられるものだ。

 ちなみに同年には日産と合併する前のプリンス自動車工業がイタリアのカロツェリアのひとつスカリオーネに依頼したデザインのスプリント1900を展示。欧州のレベルを示している感じである。

1965 スポーツプロトタイプ前澤氏は酷評しているが、かなり未来的なデザインといえる。残念ながらトヨタにも資料が残っていないそうだ。便宜上、スポーツタイプとしておいた

 次いで'65年のスポーツプロトタイプ。この翌'66年にカローラとサニーが発売されて「マイカー元年」と称されたごとく、日本がやっとクルマ社会を迎えたばかりの時代にしてはえらくモダンというか、先進的というか、当時の表現でいえば「夢のクルマ」となる。

 だがデザインとしてとらえると、いわゆるアメリカンドリーム的な流れを採り入れたような、デザインというよりもスタイリングであり、現実とは遊離した「人寄せパンダ」的役割のレベルだ。

 つまり、第二次世界大戦(日本では太平洋戦争だが)のはるか以前から発達してきた先進の欧米のメーカーたちは、ショーにはそれこそ百花繚乱のごとくにショーモデルを出品し、夢の度合いをデザイン(北米では特にスタイリングといわれていたが)を競っていた。

 日本は、戦後しばらくの後に始められた量産乗用車のためのデザイン活動はいまだ少年期にあった。欧米による夢のクルマの表現自体が夢のようであり、大きな刺激と影響を与えられたのだ。

1969 EX-Ⅰ 前澤氏も述べているように、翌年デビューするセリカプロトモデル。ルーフはブロンス色のガラス張り、未使用時のワイパーを格納しておくなども当時では斬新なアイデアだろう

 とりわけ在日占領軍の中核はアメリカ軍であり、もともと貧しいうえに戦後の荒廃からやっと立ち上がってきた日本人にとって、アメリカンライフは豪華絢爛な夢のように感じられたものだ。クルマでも、特にGMのデザイン、いやスタイリングは眩いばかりのスケールの派手さだった。

 ジェットエンジンを両脇に埋め込んだようなキャデラックなどがハリウッド女優と並んだポスターは、日本人には溜め息もんだった。

1969 EX-Ⅲ FRPのボディに身を包み、ハイウェイ走行を徹底的に意識した新時代のコンセプトカー。クルーズコントロールを備えているなど現在にも通じるアイデアが現在にも通じるアイデアが搭載されている

 しかしながら、多くの日本のデザイナーはスケッチではいかにもカッコいいようにアメリカンドリームカーを見習ったような表現をするが、いざ現実の生産車のレイアウトやサイズに当てはめるとバカデカいアメリカンカーとは大違いの寸詰まりな、スケッチとは似ても似つかぬものになるのがオチであった。

 そしてその結果、アメリカンからヨーロピアンへと目を向けるようにもなったものである。

1969 EX-Ⅱ シティ内の移動用として設計された3輪のEV。後輪はダブルタイヤで、安定性も確保している。スライド式のキャノピーはトヨタお得意のようだ

 '69年には、トヨタEX-Ⅰ、EX-Ⅱ、EX-Ⅲと3種ものコンセプトモデルが現われた。EX-Ⅱは、もはや単なるスタイリングではなく、将来の実用機能を想定したうえでデザインの新しさに結びつけた、真のコンセプトモデルといえる。

 トヨタEX-Ⅲは、'65年のスポーツプロトタイプをより現実に近づけたスポーツカーのコンセプトで、'67年に発売したトヨタ2000GTの、正統的というか欧州調ともいえるスポーツカーとは違ったモダンさを狙ったものだろう。

 そしてEX-Ⅰは、スポーティスペシャルティの雄となる初代セリカのためのコンセプトモデルで、現実感のあるカッコよさが評判となったものだ。間もなしに生産型の発売に結びつき、その後のセリカ成功の基を築いたモデルといえる。これをまとめたのはアタシの大学の同級生で、後に北米スタジオのキャルティデザインの基礎をロサンジェルスで確立、最後はトヨタの第二デザイン部長を務めた渡部氏だ。

1970 EX-7レーシングカーのトヨタ7として開発されていたクルマ。残念ながらレースに出場できなかったが、スポーツモデルのコンセプトカーに形を変えてモーターショーに出展された

 大学時代から飲み相手の彼が上京の際に飲んだ折りに経緯を聴き、若手デザイナーの提案を採り上げるとは日産よりも'10年は進んでいるみたいだなあと話したもんだった。

1970 コミューター前1輪を電気で駆動させる2シーターモデル。サスペンションがなく、タイヤとシートでショックを吸収するユニークなシステムだ

 そして'70年のトヨタコミューターは、なんとなくダイハツの三輪車を思わせるようなデザインだが、もう完全にスタイリングではなくてコンセプトモデルの時代となったことを感じさせる。

 当時は海外に目を向けても、最もスタイリングを華やかに展開していたGMのデザイン部門が、ただ夢を追うだけの荒唐無稽ともいえるスタイリングを反省、呼び名もデザインとすることを宣言し、いうなれば正常なカーデザインの時代へと戻ったのであった。

 こうしてトヨタデザインを振り返ってみると、他社と同様に玉石混交ではあるが、もし巧くマネージメントを行なって優れた芽を育て、後世により優れたデザイン組織にし、創造性の高い作品、そして商品にむすびつけることもできたのではなかったか。というのは、まあ理想論だろうなあ。

前澤義雄が作ったコンセプトモデル
1975 日産AD-1チェリーの1.2ℓエンジンを搭載、前後ストラットサスを採用した。ミッションは4MT、13インチを覆いている。当時としては画期的なCd値0.29はさすが

 '70年代の初頭、世界のクルマ産業を震撼させた課題が3つも襲いかかった。排気ガス対策、安全対策、燃費対策と。それまでは思いもよらなかった対応に技術屋はてんてこ舞い。

 で、常々思っていた先行開発を提案、いいけどカネと技術屋は使うなと。でテーマをコンパクトなミドシップのスポーツカーと、時の状況の真逆みたいなヤツ。クルマに過酷な状況でもクルマの魅力は楽しいハシリ、それを状況に適した内容で新たなデザインを追求。

 すなわち、小型軽量安全快適高機能廉価などを考えカタチに活かすワケ。パワープラントは、当時は珍しいFFのチェリーをサスごとミドシップにしたり、空力性能に徹したり。でき上がった時は感動ものだが、先行開発目的だからカバーかけてお蔵入り。

 ところが'75年、オイルショックで中止された東京モーターショーの再開に、どのメーカーもショーモデルどころじゃないなか、広報部が開発部門に何かあるらしいと嗅ぎつけてきて、補修を加えて出品となったような塩梅。日産だけの快挙で広報部は喜んだが開発部門では"忙しい時にオモチャ作って遊んでいやがって"と恨まれたっけ。

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