最期まで“江川事件”に苦しめられた、
巨・神のエースの知られざる素顔

急逝 小林繁(享年57)「10億円借金と慰謝料」
小林のこんな発言にヒザを打ったことがある。「阪神に伝統はない。ただ古いだけ」チームの勝利か、個人記録か。目指すものが、ONと村山、江夏ではまったく違うんだという。この慧眼を生かせなかったのは球界の損失だ。
1月19日、福井県で行われた通夜には元同僚の川藤幸三氏、元阪神の藪恵壹投手ら300名もの弔問客が訪れた 〔PHOTO〕幸多 潤平

 ハーフみたいな甘いマスクと体重60㎏そこそこのスタイリッシュなボディで女性ファンを、変則フォームからの強気の投球で虎キチ少年を熱狂させた「悲劇のエース」小林繁氏が急逝した。

 死因は心不全。57歳の若すぎる死だった。同じサイドスローとして、小林氏に憧れ、近鉄入団時に小林氏と同じ「背番号19」を所望したという元オリックス二軍コーチ・佐々木修氏が偲ぶ。

「ビジュアル系プロ野球選手の第一人者。細身でスーツもユニフォームも何でも似合った。サイドスローは技巧派とみられますが、小林さんは力投派。細身の体を弓のようにしならせ、直球勝負していました」

 鳥取県・由良育英高から社会人を経て、'72年にドラフト6位で巨人入団。'77年に18勝を挙げ沢村賞に輝くなど、右のエースに成長した彼の人生に立ちはだかったのが怪物・江川卓氏だった。

「'77年のドラフトで江川はクラウン(現西武)の指名を拒否。1年間の浪人生活の末、野球協約のスキをついて、'78年のドラフト前日に巨人と契約しました。いわゆる『空白の一日』です。ただ、他球団はこれを認めず、阪神が江川を1位指名したことから、大騒動となりました」(スポーツ紙記者)

 結局、コミッショナーの「強い要望」で江川氏が巨人に移籍することになったのだが、その交換相手が小林氏だった。

「野球が好きだから阪神に行く。同情は買いたくない」

阪神移籍後のサイン会。このマスク、スタイルかつメジャーの野球に精通する理論派。モテないはずがない 〔PHOTO〕講談社資料センター

 キャンプイン直前に空港から呼び戻されてトレード通告。しかも、巨人のエースの交換相手がアマチュア投手―――という非情すぎる展開にもかかわらず、小林氏は静かに従った。しかも、阪神に移籍したその年に、巨人戦8連勝(0敗)を含む22勝をあげて2度目の沢村賞。阪神ファンの溜飲を大いに下げるのだった。

 “反骨のエース”として、トラのスターになった小林氏だが、それから4年後の'83年、13勝しながら「15勝できなければやめる」という“公約”どおり、31歳でスパッと引退してしまう。外見も生き方も、とにかくカッコいい男だった。

 小林氏を一躍、悲劇のヒーローに仕立て上げた「江川事件」。しかし一見、プラスに転じたかに見えるこの悲劇。その根は実はもっと、ずっと深かった。