作家・工藤美代子氏が『悪名の棺』で明かした 日本の黒幕・笹川良一「艶福家の私生活」愛人は10人以上、好物はメザシとチャーハン

2010年11月27日(土) 週刊現代

週刊現代賢者の知恵

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「京都在住の舞踊家だった大津法子さん(仮名)です。彼女は23歳のとき、64歳の笹川と出会い、その後30年間にわたって関係が続きました。今もお元気で、彼女に初めて話を聞くことができたんです」

 この大津さんの証言を紹介しよう。

「お風呂も一緒に入るのですけれど、まず先生が先に入って私のために床のタイルを温めてくれるのです。床の排水口に先生がタオルを詰めておくんですね、お湯がタイルの床に溜まって足が温かいようにと」

 この気配り一つとっても、41歳年下の女性に対する笹川の愛情が分かるだろう。

「昭和43年、笹川は大津さんのために、京都の山科に大豪邸を建てています。全盛期の佐川急便社長がこの家を見て、『自分もいつかこんな家に住みたい』と羨んだほどの邸宅です。私も伺いましたが、山を背負ったロケーションで、本当に見事な家ですよ」(工藤氏)

風呂桶のお湯は半分まで

 笹川良一は生涯、色恋に執心してきた。95歳のとき、脊髄にリンパ腫が生じて入院したときも、そうだった。工藤氏の著書では陽平氏がこう話している。

「看護婦さんがお風呂に入れてくれるんですが、それを楽しみにしていました。

『ああ、キミにこれだけ体を洗ってもらって、何のお返しもできなくて残念だ。ボクがもうちょっと若かったら、キミをちゃんと抱いてあげたのに』なんて軽口を叩くんですから」

 なんというパワフルな90代だろうか。その一方で、笹川氏は、「『天下国家では飯は食えないでしょう』と言って、女はみんな逃げていった」とも言うのが口癖だった。戦前から米相場や先物取引、株取引で莫大な資産をなした笹川だが、稼いだ金は政治運動や福祉事業につぎ込み、女性の生活費を顧みないことがあったのだ。

 実は笹川氏が新築の家を建て、お風呂のお湯をふんだんに使うことを許したのは大津法子さんだけである。笹川は私生活ではケチそのものだった。

 特に水の無駄遣い禁止令は最晩年まで徹底していた。豪壮な邸宅住まいになってもこう言った。

「いいか、湯に入るとき水は風呂桶の半分までで十分だ。二人一緒に入ればそれでちょうどいい。いい湯だ、なんて言って湯を流すバカがいるがとんでもない」

 前出のお手伝いさん、今村喜美子氏も、工藤氏にこう語ったという。

「旦那様は『ぜったいに贅沢をしちゃいかん』と話していました。晩年に秘書が家にガス湯沸かし器を取り付けようと言っても、『もったいないから、買わない』と言い、毎朝自分でお湯を必要な分だけガスで沸かして顔を洗っていました。秘書が見かねて自腹で購入して取り付けたら、『これは便利だな』と喜んでいましたけど(笑)」

 工藤氏もこう明かす。

「海外出張のときは、東京の奥様が替えのパンツをいっぱい持たせるのですが、笹川氏はもったいないと言って新しい下着に替えたがらない。そのため出張先では、下着を洗濯するのが、同行していた陽平氏の仕事だったそうです。陽平氏は『オヤジのパンツが汚くて参ったよ』と言っていましたね(笑)」

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