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作家・工藤美代子氏が『悪名の棺』で明かした
日本の黒幕・笹川良一「艶福家の私生活」

愛人は10人以上、好物はメザシとチャーハン

こんなにも濃い96年を生きた日本人が他にいただろうか。巨万の富を稼ぎ出しながら、自らは吝嗇家で贅沢はせず、福祉に使う。ただし数多の女性を愛した---。

愛した女性の名前は70人近く

「国内では悪名を轟かせているにもかかわらず、海外ではハンセン病撲滅のための慈善事業でその名を知られ、評価も高い。このギャップはいったい何なのか、興味を引かれました」

 そう語るのはノンフィクション作家の工藤美代子氏。工藤氏が10月末に上梓した『悪名の棺 笹川良一伝』(幻冬舎)は話題を呼び、増刷を重ねて発行部数はたちまち6万部を超えた。

 '95年に亡くなった笹川良一(享年96)は、競艇事業の収益金で福祉事業を推し進める日本船舶振興会(現日本財団)の創設者であり、戦後日本を取り仕切ってきた黒幕、首領などと呼ばれてきた。

 笹川自らがハッピを身に纏い「火の用心」や「一日一善」を呼びかけるCMを覚えている人は多いだろうが、彼の人物像については、「胡散臭い大金持ち」というイメージだけが浸透している。

 著書のなかで、工藤氏は笹川の子息や側近、お手伝いさん、さらには愛した女性を取材し、彼の実像を浮かび上がらせている。

「取材すると、特に面白かったのは、彼の女性にまつわるエピソードでした。別に狙ったわけではなく、自然とその手の話が集まってきて、やはり女性関係が最も印象的ですね」(工藤氏)

 笹川は26歳のとき芸者をしていた女性と結婚するが、8年ほどで離婚する。

 その後の笹川には45歳のときに入籍した"大阪の本妻"の一江や、"東京の奥様"と呼ばれた鎮江の他に、元衆議院議員の笹川堯氏や日本財団会長の笹川陽平氏の生母である小川喜代子など関係した女性は数多い。

 工藤氏の著書によれば、戦前、親交のあった山本五十六連合艦隊司令長官から「いったい女は何人いるのかね」と聞かれた笹川はこう答えたという。

「決まっているだけで東京、大阪やな。ほかにもあるけど」

 さらにどうやって愛情を分配しているのかを質問されると、こう返した。

「西へ行ったら浜松を境に東京の女は忘れる。西の女に愛のすべてをくれてやる。東京へ帰ってきたら、大阪のことはすべて忘れて東京の女に愛情を注ぐんや」

 工藤氏はこう語る。

「私は、笹川氏と関係のあった女性を11人まで裏づけを取り、確定させました。『東洋のマタ・ハリ』『男装の麗人』と呼ばれた川島芳子さんとも男女の関係を持っていたと思いますよ」

 東京の奥様、鎮江の家の仏壇には笹川の両親の位牌と並んで、短冊がずらりと奉られ、そこには過去に笹川が愛した女性の名前が記されていたという。当初は川島芳子や小川喜代子をはじめ7人だった。だが、この家のお手伝いさんであった今村喜美子氏を取材した工藤氏はこう明かす。

「短冊は鎮江さん自身が墨書していたそうです。最初の7人以降は、過去の女性が亡くなると新年に鎮江さんが新しく書き加えるのが慣例となっていました。最晩年には70人近い名前が並んでいたといいます」

 また工藤氏は今回、これまで決して表に出ることのなかった笹川の晩年の愛人にも取材をしている。