次期トップ習近平の「コワモテ&ミーハー」列伝
2012年、赤い暴動大国の頂点に立つ男の素顔
〔PHOTO〕gettyimages

 尖閣諸島問題や相次ぐ反日デモで、「暴動大国」の素顔を覗かせ始めた中国。その後も、ベトナム・ハノイで予定されていた日中首脳会談をドタキャンするなど、その強引な外交姿勢には驚かされるばかりである。

 その傲慢大国の舵取りを約束された男が、次期トップ候補の習近平(シイジンピン)副主席(57)だ。

 一見、のんびりした風貌だが、昨年、来日した際、ゴリ押しで天皇との接見を実現させた"コワモテ"でもある。2年後の'12年、胡錦濤(フウジンタオ)(67)の後を受け、予定通り習政権が誕生した場合、日中関係はどうなるのか。

 習とはいったい、いかなる男なのか。

 日本に対してどのような感情を持ち、いかなる政治手腕を持っているのか。国民的美人歌手の彭麗媛(ポンリーユアン)(47)を妻に持つ、ミーハーな面も囁かれている。次世代の中国トップの素顔を徹底検証した。

列伝(1)「太子党」習近平の知られざる挫折

 習近平は'53年6月、北京に生まれた。父は副首相も務めた習仲勲(シイジヨンシユン)で、高級幹部の子弟グループ「太子党(タイヅダン)」に属する。『習近平の正体』('10年・小学館)などの著書があるジャーナリスト・茅沢勤(かやさわいずる)氏は語る。

「太子党ではあるが、習は'66年に始まった文化大革命で、一般の中国人と同じように陝西(せんせい)省の農村の人民公社への7年間に及ぶ『下放(かほう)』を体験しています。その後、習は共産党に入党し、'75年に名門の清華大学に進学。'78年に父の習仲勲が復権し、高級幹部の子にふさわしいキャリアを歩み始めましたが、挫折を知っているという意味では興味深い指導者です」

 習にとっての挫折は下放そのものではなかった。農作業に従事した延安市郊外延川県だったが、あまりの過酷な環境に音を上げ、3ヵ月で北京に逃げ帰ってしまったのだ。しかしその後、延川県に戻り様々な経験を得た。習は後に、「下方生活は私の根である」と述懐している。

 大学卒業後の'79年、習は国防部長・耿飈(ゴンビヤオ)の秘書として就職。'82年に河北省正定県委の副書記に転じ、'85年に福建省廈門(アモイ)市の副市長に。その後は経済先進地域である浙江(せつこう)省と上海市の党委書記(行政トップ)を歴任。'07年には中国の最高権力層・党政治局常務委員へと、二階級特進で昇進した。

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