「無能でもまだ透明なだけ民主党のほうがよい」と有権者は思っているのではないか

 民主党政権の統治能力が問われる状況は、いつまで続くのであろうか。外交も経済も滅茶苦茶である。この素人集団には、一にも早く玄人になってもらわねばならない。野党ではなく、政権を担っているのであるから、「政治とは選択である」ことくらいは分かってくれないと困る。

 事業仕分けがまた始まり、主として特別会計にメスを入れているが、期待しただけの埋蔵金が出てくるわけでもなく、また見世物としての魅力も薄れ、世人の関心もよんでいない。熱しやすく冷めやすい国民も国民であるが、民主党の政策に理論的根拠を与えてきた知識人たちの問題が大きい。

 かつては、「進歩的文化人」とよばれる人々が、反権力、つまり反自民党の論陣を張ってきた。岩波文化人とか朝日文化人とかいわれることもある。

 単独講和反対、ベトナム戦争反対、日米安保反対とかいたスローガンが大きなインパクトを与えた。しかし、賢明な有権者は、そのようなプロパガンダにはのらなかった。

 米ソ冷戦が終わり、国際政治の観点からは、進歩的文化人の凋落は決定的となった。そこで、彼ら、及びその末裔は、他のスローガンを探さざるをえない。それが、たとえば、地域主権であり、新しい公共であり、事業仕分けである。主権は国家にあるのであって、地域主権などという言葉は使うべきではない。

 せいぜい地方分権である。新しい公共に至っては、何のことかさっぱり分からない。この言葉を使う人は、経済学上の公共財という概念をどう位置づけているのであろうか。まや、特会イコール天下りと埋蔵金という整理も、短絡的すぎる。

 民主党のブレーンになっている知識人や学者は、気取った言葉を使い、日本の政治に新しい地平を切り開くかのような抱負を持っているが、残念ながら机上の空論にすぎないことが多い。彼らは現場を知らない。空想や理想や思いつきで、この日本が変わるのならば、何も苦労はいらない。

 政治や行政の現場に精通しながら、官僚機構の問題点を指摘し、既得権益の打破を図るのならよい。しかし、それは忍耐の要る仕事であり、少しずつ前に進めるしかない。

 現に政権を担っている民主党の政治家たちは、やっとそのことに気づきはじめたようである。遅きに失したとはいえ、わかるだけよい。ただ、それまでに浪費した時間が悔やまれる。これも政権交代のコストというべきか。