史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか

2011年08月17日(水) 週刊現代

週刊現代賢者の知恵

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 その後、さらなる病魔が彼女を襲う。間質性肺炎。済生会福岡総合病院には専門医がいなかったため、次善の策として順天堂医院に入った。数少ない専門医がいるというのが理由だったが、回復が見込めないことは、医師の顔色で分かった。

「最後に『人工呼吸器を入れないと死んでしまいますよ』と医師に言われ、母は入れてもらうと返事をしました。死の寸前まで、何としても生きて復帰するつもりだったのです」(加藤氏)

 ひばりさんは、歌うことを最後まであきらめなかった。その意志を尊重してくれたからこそ、小川医師に全幅の信頼をおいていた。歌手・美空ひばりとして人生を全うすること—それがひばりさんにとって最優先されるべき「病院選び」だったのだ。

「コネ」も重要

 ひばりさんも知人の紹介で名医と巡り会えたように、病院選びには「コネ」も重要だ。「世界のミフネ」と呼ばれた国際俳優の三船敏郎氏は、黒沢明監督の師匠にあたる山本嘉次郎監督の未亡人・千枝子さんの紹介で、自宅から近いこともあって杏林大学付属病院をかかりつけにしていた。

 長男で三船プロダクション社長の三船史郎氏が、三船敏郎氏の亡くなる前の様子を振り返る。

「亡くなる2年前から、父は杏林大学病院で入院生活を送っていました。病室は約12畳。応接セットなどが付いており、24時間介護。先生は親身でしたし、父が入院していることも伏せ続けてくれました。介護の方にもよくしていただき、本人も満足そうでした」

 三船敏郎氏は77歳だった'97年に全機能不全で亡くなったが、その死の前の1週間は、目も口も閉ざしたままで、反応はほぼなくなっていた。そのころ、家族ぐるみの付き合いだった俳優、志村喬夫人の政子さんがお見舞いに来た。

「『三船ちゃん、しっかりしなさいよ!』と耳元で励まして、頬を叩いたんです。すると、父の目から一筋の涙が流れました」(史郎氏)

 石原氏や三船氏がかかったような大病院とは違うケースも紹介したい。

 橋本龍太郎元総理は、国際医療センター(現・同研究センター)をかかりつけにしていた。息子で前衆議院議員の橋本岳氏が語る。

「祖母が国際医療センターに入院していたし、父が心臓病で手術を受けたのもこの病院で、私たちの家族は、気になるところがあるときはあそこに行きますね」

 '06年に入院した際も、「医療技術が高い」と信頼を寄せていた国際医療センターに迷わず行った。

「父は、『とにかく腹が痛い』ということで入院したんです。その日の夜に緊急手術を受けました。腸に血液が行かない腸管虚血という珍しい病気だったのですが、結局、手術後意識が戻らないまま亡くなりました」(岳氏)

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