ドイツ
ドイツ人が愛する深い森
「波乱万丈のハイキング」で考えた失業者の減らない経済について

ネッカー川(写真撮影はは筆者、以下同じ)

 「ドイツの夏は美の極致である。しかし、ネッカー川をいかだで下ったことのない者は、この優しく穏やかな美しさの最高峰を把握したとも、認識したとも、楽しんだとも言えない」と記したのは、『トム・ソーヤーの冒険』の作者マーク・トウェインだ。褒め方の言い回しとしては、まさに「日光を見ずして結構と言うな」のドイツ版、「ネッカー川を見ずして結構と言うな!」である。

 ネッカー川というのは黒い森で湧き出し、大学都市として有名なチュービンゲン、我が町シュトゥットガルト、そして、これまた美しいハイデルベルクを通って、マンハイムという町でライン川に合流する。ラインのような幅も長さもなく、川下りをしても両岸に古城が見え隠れすることもなく、ましてや途中に美女ローレライが待機しているわけでもないが、しかし、それでもネッカーは確かに素朴で美しい。

 一八七八年、ヨーロッパを旅したトゥウェインは、ネッカー川のほとりのヒルシュホルンという小さな町に立ち寄っている。多くのドイツ人さえ知らない小さな町である。

 そのヒルシュホルンで、先週、トレッキングをした。コースはほぼ全行程が静かな森で、ところどころ視界が開けると、はるか遠方の山々の尾根が望めたり、眼下に悠々と蛇行するネッカー川を見下ろせたりする。この贅沢なロケーションが、ハイデルベルクからSバーン(郊外電車)でわずか25分ほどのところにあるのだから、ドイツはやはり自然の多い国だ。

森に対するドイツ人の思い入れ

 この自然は、しかし、勝手に残ったわけではない。人知で残している。自治体によって規則は多少異なるが、たとえば、大きな木は自分の庭の木でも許可なしには切れない。ましてや、森をつぶすことは、目的が何であってもほぼ不可能に近い。自然保護地や景観保護地に指定され、家を建てられない場所も多い。

 森に対するドイツ人の思い入れは深い。森の散策をこよなく愛し、日曜の午後など、足の悪くない国民は全員、黙々と森に向かう。元が狩猟民族であるから、森が呼ぶのである。メルへンは、『赤ずきんちゃん』や『ヘンゼルとグレーテル』など森が舞台になったものが多いし、ワーグナーのオペラも、ほとんど皆、森が絡んでいる。

 ドイツでは、森は自分のものであっても、そこを囲って立ち入り禁止にすることはできない。森は皆のものなのだ。ただし、もちろん、人の森では勝手に木を切ったり、生っている実を採ったりしてはならない。

 それに比べて日本の多くの場所では、宅地開発と称して森や雑木林が容赦なく伐採され、丘は平らにならされ、木などなくなってしまった。新宿から西に進むと、高尾山に森が残っていて少しホッとするのも束の間、美しい山中に突然、食べ放題、飲み放題の醜いレストランが現れ、騒音をまき散らしているのに唖然とする。あまりにもひどい。静かな森にこのような物を建設することを、いったい誰が許可したのだろう。景観保護という言葉は、日本では死語である。

 だから、高速道路を通っても、新幹線に乗っても、景観の美しいところには必ず、どうでもよいことを大書した巨大な看板が立っている。宣伝効果があるとは思えない。まさに、景観を冒涜するためだけにあるのだ。繊細な日本人の神経が、なぜ、こういうものには拒絶反応を起こさないのかが不思議でならない。

 いずれにしても、ヒルシュホルンが日本にあったなら、とっくの昔に平地にされて、ハイデルベルクのベッドタウンとして団地になっていたに違いない。そして、Sバーンの線路沿いには、「緑のオアシス、第3期分譲開始! ハイデルベルクまでわずか25分」という巨大な広告が立っただろう。

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