小沢一郎「失脚の危機」は終わらない
「幹事長辞任」「離党」の声も党内から

 日本政治最高の実力者と位置づけられた与党首脳が東京地検特捜部の事情聴取を受け、土曜日の夜に記者会見を行う光景は異様だった。民主党幹事長・小沢一郎は会見で「私の知っているすべてを話した。真剣に聞いていただけたことは間違いない」などと語り、乗り切りに自信さえ示した。しかし、民主党のイメージダウンははなはだしい。

 また、事情聴取後も、東京地検特捜部は逮捕した衆院議員・石川知裕容疑者ら3人の取り調べを進め、小沢へ迫る構えを崩していない。あの会見を聞いて疑惑が晴れたと思うのはよほどの“小沢シンパ”に限られるだろう。

 小沢は記者会見をしたことで説明責任を果たしたつもりになっているに違いない。それでも、次々と疑問が湧いてくるのは小沢と国民の大半との信頼関係が崩れているからではないか。

「政権と検察の戦い」にすりかえた小沢戦略

 小沢の会見を見ながら、私は1993年2月17日、衆院予算委員会における小沢の証人喚問を思い出した。小沢は87年の竹下政権誕生に右翼、暴力団がかかわったとされる日本皇民党事件と、前自民党副総裁・金丸信に対する東京佐川急便の5億円違法献金事件で国会に招致された。

 当時の自民党幹事長は、小沢の政敵だった梶山静六。梶山は小沢の証人喚問に応じないかぎり野党の強い抵抗で予算成立が危うくなると判断し、受け入れた。小沢は不満を抱きながらも「梶サンはちょっと嫌がらせされたぐらいでオレがしぼむと思ってんのかな」と言い放ち、喚問に応じた。

 その喚問で小沢は疑惑を全面的に否定し、機微にわたるところでは「……と記憶している」と語り、巧みにぼかしたのである。

 特捜部の事情聴取の内容を説明した23日夜の記者会見でも、小沢は政治資金収支報告書の記載やカネの流れについては「何の相談も受けていない」「まったく関与していない」と完全に否定した。一方で、記者団に配布した文書には「常々、担当秘書には、政治団体の収支についてはきちんと管理し、報告するように言っていました」と記述しているにもかわわらず、だ。

 小沢はかつて政争に臨むとき、こう語っていた。

  「つらいときほど我慢しなきゃいけない。つらいのに負けて方針を変えると、付け込まれてガタガタになってしまう」

 小沢の戦のときの信念である。攻めて攻めて攻めまくり、敵を追い込んでいく、どうしても乗り越えられない壁にぶつかったときは大胆に転進すればいい―。小沢はいま、そう心の中でつぶやいているのではないか。

 小沢が戦っている相手は、東京地検特捜部、世論、国会における追及だ。石川らが逮捕された翌日の16日、この3つの正面との戦いに入るにあたり、小沢が真っ先に行ったのは党代表であり首相の鳩山由紀夫の支持を取り付け、民主党大会で「断固として戦う」と表明して、その了承を得ることだった。

 戦いにおいて敗北するのは陣営が乱れ、内部分裂を起こしたときだ。これを百も承知の小沢は政権内に強固な「城」を築いた。個人の検察との戦いを、政権と検察の戦いにすりかえた小沢の戦上手には舌を巻かざるをえない。
それと同時に、そんな作戦も知らないで、「小沢幹事長を信じています。どうぞ戦ってください」と言ってしまう、鳩山の不用意さに開いた口がふさがらない。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら