蓮舫レポート

奄美地方を襲った集中豪雨。被災現場から生中継をしたときの心細さが蘇ります

2010年10月23日(土) 蓮舫
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 鹿児島県奄美地方を襲った集中豪雨では、3人の方が亡くなりました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 また、土砂崩れなどで道路が寸断され、およそ1600名の方々が依然として孤立状態にあるほか、多くの方が奄美市内6つの小中学校でも避難生活を続けていらっしゃいます。心からお見舞い申し上げます。政府としても、充分な対応と対策をとるよう動いているところです。

〔PHOTO〕gettyimages

 思い出すのは、私がニュース番組でキャスターをやり始めた1993年に起こった、北海道南西沖地震のことです。

 函館の西にある奥尻島の近くを震源とした大きな地震が起こり、奥尻島の青苗地区を7メートルの津波が襲って、街がメチャクチャになりました。

 被災地に1週間ほど取材に行っていたんですが、ずっと天気が悪かったので帰りのヘリコプターが飛ばなかった。

 また、携帯電話の電波状況があまりよくなかったため電話が通じず、無線機を持っていってなかったから、本社や支局との連携があまり取れなかった。

 中継用の回線だけは確保していたので、番組での"現場からの生中継"はできたんだけれども、スタッフとの細かな打ち合わせはできなかった。

 被災の現場がどういう状況にあるか、東京のスタジオには克明にレポートするんですけれども、東京から奥尻島へは情報が来なかった。「いつわれわれは帰れるんだ」と、不安になっていた。

 今から思えば、被災して家族を亡くし、住む家を失った方々の中にいて、「帰りたい・・・」と不安がるのは不謹慎ではあります。しかし、心細さが理性に勝っていたんですね。

 よくやく引き揚げるんだっていうときになっても、テレビ局から「空港で待ってろ」と指示が来た。

「ヘリコプターが今日には手配できる。何時になるかわからないけど、ずっと空港で待ったら来るから」

 そう言われて、カメラさんと音声さんと取材ディレクターと私で荷物被災グッズを持って待っていたのですが、3時間経っても4時間経ってもヘリは来ない。

 今回の豪雨では、授業中に校舎が浸水して2階3階の教室に避難した学校もありました。大雨ですから、日が暮れて暗くなるのも早かった。停電で電気がつかない。真っ暗な中、ロウソクの明かりとみんなで肩寄せ合うことで恐怖心を克服し、先生が持っていたわずかなお菓子で空腹感をごまかす・・・。

 この子たちに比べたら、自分の体験なんて小さいことだし、当時と今とで一番違うことは、私はレポートする役割ではなく、その子たちの生命の安全と安心を守る重責を担っていることです。

 なんとしても一刻も早く、と。


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