ドイツ
人工授精の「着床前診断」を巡って国会で繰り広げられたドイツらしい「倫理論争」
医学の進歩が突きつける難問に向き合う
両親のどちらか、あるいは両方が重篤な遺伝疾病を持っている場合、または、その遺伝子を保持している場合に限って着床前診断ができるよう、法律を改正するかどうかという議論が国会でなされた〔PHOTO〕gettyimages

 とてもドイツらしい光景を見た。ドイツの国会でのことだ。テーマはPID、受精卵の着床前診断について。

 着床前診断というのは、体外で人工授精させた卵子を子宮に戻す前に行う遺伝子のテストのことだ。受精3日後の卵子から細胞を一個取り出して、遺伝子に異常がないかどうかを調べる。そして、異常のなかったものを子宮に戻す。少なくとも世界の60ヵ国で実施されているが、ドイツでは今まで例外なしに禁止されていた。

 ところが7月7日、両親のどちらか、あるいは両方が重篤な遺伝疾病を持っている場合、または、その遺伝子を保持している場合に限って着床前診断ができるよう、法律を改正するかどうかという議論が国会でなされたのである。

「倫理的に正しいことをしたい」という願望の強い人々

 患者が極度に苦しむ残酷な遺伝病がある。たとえば膵囊胞線維症。気道、腸、肝臓、胆道など全身の臓器の外分泌腺(汗、消化液、潤滑剤である粘液などを分泌する組織)が冒される病気で、最後には異常に粘質な粘液で気道がふさがれ窒息したり、あるいは汗の中へ過剰の電解質が失われてショックを起こしたりする。

 日本では稀で、全国で30人ほどの罹患者が確認されているだけだが、欧米ではもっとも頻度の高い重篤な劣性遺伝病として知られている。劣性遺伝というのは、両親共にその遺伝子を持っている場合にのみその形質が現れる遺伝のことだ。

 そういう子供を持つ夫婦、あるいは、そういう子供を亡くした夫婦の場合、当然のことながら、次の子も同じ疾患を持つ確率は高い。だから、もう1人欲しくても踏み切れない。再び窒息死する我が子を見る覚悟がないというのは、親として当然のことだ。こうして深く絶望する若い夫婦を、着床前診断なら助けられる可能性がある。

 また、この診断が効果的なのは、習慣流産の患者に対してだ。習慣流産も遺伝子の異常によって起こるため、妊娠しても、妊娠しても、なかなか出産には行きつかない。着床前診断で正常な受精卵を"選抜"すれば、出産の可能性は飛躍的に伸びる。

 しかし、PID反対派は手厳しく、"選抜"は自然淘汰に逆らう行為であるとする。テストする受精卵は1個ではないから、子宮に戻す受精卵以外のものは破棄することになるのだが、受精卵はすでに生命体である。それを殺すのは倫理に反する上、現在生きている病人や身障者に対する冒涜だという主張だ。もちろん、教会もPIDには挙って反対している。

 さて、結論を言うなら、前述の国会での表決はPID賛成派が過半数を占めたのだが、その前に行われた議論は、それぞれが個人としての信条を述べ合うという、国会では稀な光景となった。テーマがテーマだから、政治的立場や党の方針、ロビーのしがらみなどがない。賛成者も反対者も、気がつくと、皆、突然、生身の人間になっていて、まさに個人的な体験に基づいて、感情的で、白熱した論争を展開した。

 ドイツ人とは、倫理的に正しいことをしたいという願望が人一倍強い人たちで、したがって、倫理論争は一番好きな分野でもある。個人となって、真剣に論じる国会議員はとても新鮮で、見ていて飽きなかった。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら