牧野洋の「ジャーナリズムは死んだか」
2010年10月14日(木) 牧野 洋

郵便不正事件「冤罪報道」は氷山の一角  「無罪」が確定してもベタ記事扱いで終わった「ヤミ金資金洗浄事件」外銀元行員の報道被害

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 指定暴力団山口組旧五菱会絡みのマネーロンダリング(資金洗浄)事件で2004年に逮捕・起訴されたクレディ・スイス元行員、道傳(どうでん)篤--。彼について「資金洗浄の指南役」として記憶していても、無罪を勝ち取ったという事実を知る人は少ないのではないか。

 海外を舞台にした資金洗浄の摘発は初めてで、「ヤミ金融の帝王」梶山進が中心にいただけに、この事件はマスコミで大きく取り上げられた。「指南役」としての道傳にも注目が集まった。ところが、無罪が確実になると、大新聞は道傳のことを忘れてしまったようなのだ。

 

 前回の記事(「郵便不正事件 なぜ『推定有罪』がまかり通るのか」)では、郵便不正事件で逮捕・起訴された厚労省元局長、村木厚子について「幸運だった」と書いた。刑事裁判の有罪率が99.9%に上る状況下で無罪判決が出たのに加え、大新聞がそれを大々的に報じ、しかも検察側を厳しく批判したからだ。

 

 主任検事によるデータ改ざん疑惑まで出てきた郵便不正事件を目の当たりにして、道傳は「長期にわたって拘置所で取り調べを受けていた時の光景と重なる」と語る。確かに、最後まで無実を主張し続け、無罪を勝ち取った点で共通する。

 だが、大きな相違が1つある。郵便不正事件では、データ改ざん疑惑が表面化する前の段階から、大新聞が無罪判決を詳細に伝え、被告側の名誉回復を後押ししていた。ヤミ金資金洗浄事件では、被告側が名誉回復したとは言い難い。

無罪が確定しても職場復帰もできないまま

 村木と道傳は異なる運命をたどることになった。村木は最高検首脳から直接「誠に申し訳なく思っています」と謝罪の言葉をもらい、職場へ復帰した。一方、道傳は国から謝罪も受けていないし、職場へも復帰していない。

 村木の5ヵ月を上回る9ヵ月以上も拘置されるなかで、道傳は多くを失ったのだ。無罪が確定したにもかかわらず、クレディ・スイスからは職場復帰の打診がないばかりか、「お疲れさま」の一言もない。今は電気関連ベンチャー企業の役員を務めているほか、知人と一緒に写真スタジオを立ち上げるなどで、金融界から離れて生計を立てている。

前回も指摘したように、村木は巨大官庁の局長という権力側にあったのに対し、道傳は一介のサラリーマンだったからだろうか。しかも彼の勤務先は、マスコミから「ハゲタカ外資」呼ばわりされることある外資系金融機関だった。それも影響したのだろうか。

 具体的に見てみよう。1審に続いて2審で無罪判決が出たのは2007年9月12日。読売、朝日、毎日、日本経済の各紙は、同日付の夕刊で比較的小さな扱いで報じただけだった。日経は4段見出しの記事であったものの、読売と朝日は1段見出しの「ベタ記事」扱い。文字数にして200字程度、400字詰め原稿用紙の半分だ。

 2審・東京高裁の無罪判決を受け、道傳は投げ込み原稿を用意し、司法記者クラブで配布した。無罪が最終確定したわけではなかったものの、検察側が最高裁に上告する可能性は低かったため、自分の気持ちを世間に伝えたかったのだ。

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