短期集中連載
原辰徳「ONと比較され続けた男の光と影」

第2回 憧れから失望へ---〝太陽〟長嶋への反骨
'93年の原辰徳。6月末時点でわずか4本塁打、チャンスにバントを命じられる体たらくで引退説が飛び出した〔PHOTO〕鬼怒川 毅

第1回はこちらをご覧ください。

取材・文|吉見健明(スポーツライター)

東海大相模高時代の原('75年の松商学園戦)。1年時から甲子園のスターであった〔PHOTO〕日刊スポーツ/アフロ

 サラブレッド、爽やか、若大将―巨人・原辰徳監督(53)を形容する言葉はどれも明るく、親しみやすいものだ。

 同じくジャイアンツの4番でホットコーナーを守った偉大なる先輩・長嶋茂雄(75)と天真爛漫なイメージ、独特の言語感覚が似ていることから、〝ミスター二世〟〝ヤング・ミスター〟と呼ぶファンもいる。球団もそう見ていたから、'01年オフ、長嶋が「ジャイアンツの監督」という栄光のバトンを渡したのは、原だった。だが、二人は似て非なるもの。

'80年、ドラフト1位で栄光の巨人軍に入団。右はクジを引き当てた藤田元司監督〔PHOTO〕鬼怒川 毅(以下同)

 原は天才ではなく努力家。天真爛漫ではなく、激情家。他のどの巨人OBとも意見を違えるのは、彼にとってミスターは、打倒すべき存在だということだ。

 通算本塁打382本はONに次ぐ、球団歴代3位。4番在位1065試合。これを超えるのはやはりON、そして川上哲治しかいない。それだけの成績を残しながら、比較されるのがONというだけで原は「史上最低の4番」と揶揄され続けた。あまりにも偉大な比較対象が身近にいたために、正当に評価されずにいたのだ。

 その流れが、監督就任を機に変わった。