「小沢疑惑報道」で問われる「メディアはポチか」
新聞記者が考える「検察リーク」問題

予想外の反響を呼んだ新聞コラム

 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」による土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件をめぐる報道が連日、新聞やテレビを賑わせている。私は所属する新聞の署名入りコラムで次のように書いた。

「・・・読者として多くの記事を読む限り、正直言って『これはいったい、なんだ』という感じも抱いてきた。なぜなら、当事者本人か捜査当局しか知り得ないような情報がしばしば盛り込まれているからだ。ときには当事者が捜査当局に供述したとされる内容が報じられたりしている」

「ということは、当事者が取材記者に話したか、あるいは当局が記者にリークしたのではないか。疑惑があるなら解明されねばならないのは当然である。現場で取材する記者の苦労は理解できるし、多としたい。だが、結果的に当局の情報操作に手を貸す結果になっているとしたら、それもまた見逃せないのだ」(「『小沢疑惑報道』の読み方」、東京新聞2010年1月18日付け)

 すると、掲載当日朝のテレビやラジオ番組でコラムが紹介されるなど、思いがけなく多くの反響があった。もちろん異論もあったはずだが、私の元に寄せられた反応は、ほぼすべてが私の見方に賛同してくれた。多くの人々が当局による情報操作を疑って批判的に受け止めている、ということだと思う。

 好意的な反響の多さも、実は私には意外だった。
なぜなら、このコラムを載せた当の新聞もまた、そうした捜査当局発の情報を載せているメディアの一つであるからだ。当然ながら「そんなきれいごとを言うなら、まず報道自体をやめよ」という意見が殺到するのでは、という懸念もしていた。けれども、読者はもっと賢く、優しかったようだ。「きれいごとを言うな」と批判するより、「よく言った」と激励してくれたのだから。

 私自身を含めて、メディアで仕事する人間にとって、当局の情報リークをどう評価するかは悩ましい問題である。「真相はどうなっているのか」と取材しながら、情報源に対して「リークするな」と批判するのは矛盾している面がある。自分で自分の首を締めているようなものだ、と言ってもいい。

 それを承知のうえで言うが、いま起きている事態はもう少し本質的な問題をはらんでいるように思う。それは検察当局という権力機関に対してメディアがどう向きあうのか、という問題である。これは予算編成権や徴税権を握る財務省・国税庁のような別の権力機関についても言えることだ。

 権力機関が摘発しようとする事件の内容を報じるのは、もちろんメディアの大事な仕事である。事件が政治家がらみであればなおさらだ。いうまでもなく、政治家は国民の税金で仕事をしていて、国民生活に大きな影響力をもっている。

 だが、権力機関自体がやろうとしていることを一歩、身を引いて冷静に観察することは、もっと重要なのではないか。というのは、情報をほぼ独占している権力機関はメディアが激しい競争状態にあることを利用すれば、情報配分を巧みに操作することによって、裁判手続き前であっても事実上、自分たちが狙い定めた政治家を社会的に葬りさることが可能になるからだ。

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