俺たちのガンプラ30年史 [前編]
「どこまでもリアルに」第1号を作った職人の開発秘話
ガンプラ1号機の木型。当時は手彫りの木型から金型が作られた 〔PHOTO〕濱崎慎治 (以下同)

ガンダムのプラモデルに賭けた男たち---ロングラン・ヒットの裏の「進化」と「苦悩」

[取材・文:豊田正義(ノンフィクションライター)]

 ガンプラ—。30代半ば以上の読者なら、その響きに何とも言えない懐かしさを憶えるのではないだろうか。アニメ『機動戦士ガンダム』に登場する「モビルスーツ」と呼ばれるロボット型兵器のプラモデルは、'80年代、全国の少年たちの心を鷲掴みにした。学校をズル休みして玩具屋に走った読者もいるのではないか。

 今年2010年は、ガンプラ生誕30周年に当たる。製造・発売元のバンダイは、9月10日から3ヵ月にわたり、宮城県仙台市を皮切りに全国3ヵ所を回る記念イベント『ガンプラEXPO JAPAN tour』をスタートさせた。ツアー初日、会場となった仙台パルコ(仙台市青葉区)に駆け付けたのは、まさにあの少年たちの"30年後"であった。

 その日は金曜日だったが、朝から店の周囲に長蛇の列を作った彼らは、開店と同時に4階の特設売り場めざしてエスカレーターを駆け上がった。売り場には、その日初めて売り出される限定販売の「ガンプラ」の箱が天井近くまで積まれている—。

ガンプラ生誕30周年の記念ツアー初日、平日の午前中から長蛇の列ができた(9月10日)

 菅原浩司(39=仮名)とは、この日の会場で知り合った。

 マニア歴30年を誇る菅原は、ガンプラの取材をしていると切り出すと「ガンプラなら全種類コレクションしている」と豪語し、「自宅に入り切らないガンプラを保管している貸し倉庫」に招待してくれた。

 畳一畳ほどの広さのトランクルームは、スペース一杯にガンプラの箱が積み重ねられていた。

「全種類を二つずつ買ってあるんですよ。一つは組み立てて家に飾っていますが、もう一つは組み立てず、プラモデルの一部を壊したり紛失した時、部品を探して修復できるようにしているんです」