特捜検事が逮捕された検察の「解体的再生」は「小沢一郎プラン」しかない!
小沢が狙われた本当の理由は
「政治主導の法務・検察改革」だった

 国民の信頼を失わせた---といった程度の話ではない。「国家秩序」の担い手としての検察が、地検特捜部を使って腐敗した権力の掃除役になるという、これまでの検察捜査の“あり方"が、全否定されたに等しい。

 最高検は、9月21日、郵便不正事件で押収したフロッピーディスクのデータを改ざんした大阪地検特捜部の前田恒彦主任検事を、『朝日新聞』が報じたその日夜、電光石火の早業で逮捕した。

 同日、記者会見した伊藤鉄男最高検次長は、今後、最高検を中心に7人の検事で、捜査にあたり、他の検事の関与の有無などを調べることを明らかにした。しかし、検察自身の手による捜査によって、これほどあからさまな証拠隠滅が、他に発覚するとも思えない。

 また前田検事が、「誤ってデータを書き換えた」と主張していることから、他の検事の関与や、報告を受けていた上司の刑事罰を問うのは難しく、結局、前田検事の個人犯罪で捜査は終結するのだろう。

 すでに、特捜検察の「シナリオ捜査」は周知のものとなっている。特捜検察は、事件の筋を読み、どの罪で立件するかを決めると、そのシナリオに沿った供述調書を取ろうと躍起となる。

 保釈や執行猶予を材料に、あの手この手で被疑者を落とし、証拠と証言でガチガチに固めて起訴するから有罪率は100%近く、「最強の捜査機関」という“尊称"を保ってきた。

 「シナリオ捜査」は、時に行き過ぎる。

 警察捜査との違いは、個々の検事に捜査権と公訴権があることだ。起訴するには検事の了解を必要とする警察は、強引な捜査や甘い供述調書を見破られ、検事に突き返される。それが警察のチェック役としての検察の役割であり、冤罪事件の歯止めでもあった。

 ところが特捜検察には、チェック役がいないし、歯止めもない。疑惑が発覚し、それが検事の職責に照らして許してはならないもので、しかも政治家や大物官僚や大企業が絡んだものなら、検察は喜んで飛び付き、特捜検事は猟犬のように嗅ぎまわって摘発の材料を探し、筋読みをし、供述を集めて立件する。

 この手法は、実は1949年5月、東京地検に置かれた終戦直後の物資横流しや着服などに対処する「隠退蔵事件捜査部」を「特捜部」に切り替えた時から、それほど大きくは変わっていない。

 指揮権発動につながった造船疑獄、高度経済成長期の大阪タクシー汚職や日通事件、成長期の最後を飾るロッキード事件、バブル期の終焉を告げる金丸脱税事件、官僚機構の制度疲労を象徴する大蔵・日銀接待汚職事件、そして最近のライブドア事件、鈴木宗男事件、防衛庁を揺るがせた山田洋行事件・・・。

 いずれも、被疑者の側は不満の声を挙げ、ライブドアの堀江貴文被告や収監される鈴木宗男被告がそうであるように、徹底抗戦する被告は少なくない。彼らに共通するのは、特捜検察の強引な捜査への怒りであり、「検察ファッショ」を口にする。

 経済事件を記者としての主要分野とする私は、ロッキード事件以降の多くの特捜案件を取材。特捜検察のターゲットとなった被疑者や被告とつきあってきた。なかには取材者としての枠を超えて親しくなった人もいるが、検察捜査の必要性に対する認識は揺るがなかった。

 権力は必ず腐敗し、特捜検察以外にその権力の監視役はいなかったからである。それは、司法記者クラブに属するマスコミの司法記者も、ゲリラ的な報道をする雑誌ジャーナリズムの記者も同じ思いだっただろう。

 だが、昨年から今年にかけての二つの事件は、その認識に修正をもたらした。

 東京地検特捜部が手がけた小沢一郎民主党元代表の政治団体「陸山会」で生じた政治資金規正法違反事件と、大阪地検特捜部が手がけた村木厚子厚労省元局長の冤罪逮捕を生んだ郵便不正事件である。

 東京特捜の捜査は、「小沢起訴」を前提としたものだった。昨年3月の大久保隆規秘書の逮捕から今年初めの石川知裕元秘書(現代議士)の起訴に至るまで、政治を揺るがせ、政局となること承知で、強引な捜査を繰り返した。

 「何でもいいから吐け!お前を悪いようにはしない。小沢事務所に裏ガネを持って行っただろう!」

 連日のように呼び出され、若い検事に恫喝されるゼネコンやサブコンの業務屋(談合担当)の“恨み節"を何度、聞かされただろう。証拠と証言に基づいて供述を取ろうというのではない。裏ガネを積み上げて、「小沢起訴」に持って行くために、「吐け!」と迫る。無茶苦茶であった。

 大阪特捜の供述調書のデタラメぶりは、公判を重ねるごとに明らかになっていった。被告が口を揃えて「検事の作文にサインをさせられました」と、“偽造調書"であったことを訴えた。普段は検察と連帯する裁判所が、村木公判でほとんどの調書を採用しなかったのだから異常である。

 この時点で冤罪は明らかで、事実、無罪となった。しかし、主任検事が証拠を偽造してまで事件をでっち上げようとしていたとは思わなかった。

 だが、検察界はいつものように“特殊な事例"で終わらせようとしている。
事件を受けて、大物ヤメ検がマスコミに、「改竄が事実だとすれば言語道断の話だ」(宗像紀夫元特捜部長)、「証拠を改竄するなんて他にはありえない」(石川達紘元特捜部長)と、コメントしていた。

 もちろん、そんな“ガス抜き"で済むような話ではない。強大な権限を握る主任検事が、事件の「筋読み」をして、その方針通りの供述を取るという「シナリオ捜査」には、検事の野心と出世欲が内包されている。証拠改竄の誘惑は誰にでもあるのだ。

 実際、過去には、殴る蹴るの暴行で供述を取り、逮捕起訴された検事もいた。特捜検察が常に抱える問題なのである。

 そうした検察捜査の制度疲労が、東と西で同時に発覚したのは、特捜検察という権力のチェックシステムが、すでに崩壊していることを意味する。

 前田検事個人の問題ではないし、ローテーション人事にしたことによる捜査能力の低下や、検事個々の資質にかかわることでもない。「法務・検察」という組織と検察捜査のあり方を、根本的に見直す必要がある。

検事総長の内閣同意制や、検事正の公選制導入も

 組織改革には時間も手間もかかる。その最速のプランは、皮肉にも小沢元代表と一新会を中心とする側近グループで論議していた「検察改造計画」なのである。
それは例えば、検事総長の内閣同意制であり、検事正の公選制であり、録画録音を含む捜査の可視化である。

 法案となった「可視化」を除いては、まだ検討中ではあったが、「政治主導」の名の下、本気で検討されたのは事実である。

 特捜検察は権力のチェック機関だが、「法務・検察」をチェックする機関はない。唯一が法相による指揮権発動だ。ただ、造船疑獄がそうであったように、「政治家救済」のために行われるのだから国民の納得を得られない。現実には「抜かずの宝刀」となっている。

 その結果、検察は誰の批判も受け付けない唯我独尊の組織になっており、その高慢が「小沢事件」や「村木事件」を生んだ。

 そもそも小沢元代表が検察に狙われたのは、人事を押さえることで「政治主導」を「法務・検察」にも導入しようとしたからだった。

 大久保逮捕で小沢元代表サイドが対決姿勢を露わにし、それが“尊大"な特捜検察の怒りを買って波状捜査となった。検察とのガチンコ勝負は避けるべき――。小沢元代表とそのグループは、沈黙に徹したものの、当の特捜検察は西の「村木事件」で自壊、国民の信頼を完全に失い、「解体的再生」を余儀なくされている。

 それは、特捜検察の人事とシステムをいじるような小手先で解消できるものではない。「法務・検察」に外部の“血"を導入するような大改革しかない。もちろん、その達成は難しいだろう。

 とりあえずの近道は、先の検事総長の内閣同意制、検事正公選制などを含む「小沢プラン」なのである。

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