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日本車史上に残るライトウェイトスポーツとは? 
3人の評論家による緊急座談会!
写真左から片岡英明(56)、元教師なので、わかりやすい解説に定評あり。石川真禧照(62)、インプレが正確で、輸入車にもめっぽう強い。鈴木直也(55)、究極のメカオタクだけに、メカ解説は完璧

 日本車の歴史の中で多くのスポーツモデルがあるがライトウェイトスポーツとして印象深いモデルについて思いの丈をすべて語ってもらったぞ!

 本企画ではここまで、日本自動車史に登場してきたライトウェイトスポーツカーと呼べるクルマをザッと紹介してきた。いずれも日本の自動車産業を発展させてきたエポックメイキングなクルマではあった。

ライトウェイトというと、真っ先に浮かぶのがト ヨタS800。日本の小型軽量スポーツの原点だ

 だがしかし、いまだに「ライトウェイトスポーツの定義」は曖昧なままだし、「これらのクルマが日本のクルマ社会にどのような影響を及ぼすか」というのは見えてこない。

 そこでここからは3人の自動車評論家に「日本ライトウェイトスポーツ車10ベスト」を決定してもらうべく話し合っていただいた。

 そのなかでライトウェイトスポーツカーの持つ意義や、今後の自動車界に何をつなげていけるのかを、存分に語っていただいた。

評論家3人が語る、ライトウェイトスポーツとはいったいどんなクルマなのか?

編集部/本日のお題はライトウェイトスポーツカーです。この鼎談を始める前に、事前にそれぞれ日本車のなかでのライトウェイトスポーツ車10ベストを決めて、もってきていただいてあります。それを参考にしつつ話を進めたいと思うのですが・・・まずは皆さんに順々に、「ライトウェイトスポーツ車とはなんぞや?」という話を聞いてみたいと思います。

鈴木直也(以下鈴木)/では僕から。昔はスポーツカーも大衆セダンもトラックも同じエンジンで同じシャシーを使っていたわけです。そのなかでどうやってスポーツカーに仕立てるかというと、「何かを捨てる」という方法だった。

 屋根を外したりシートの数を減らしたりドアの枚数を減らしたり・・・そうして車重を軽くすることでスポーツカーとして成立させてきた。そうなると「ライトウェイト」、つまり軽いというのはスポーツカーの本質のひとつなんですよね。

編集部/ふむふむ。

鈴木/ですから僕は、まず軽いこと。エンジンが凄いというより車重を重視して選んでみました。個人的には車重1tを超えちゃうと「ちょっとライトウェイトスポーツカーとは言えないかな」と思っちゃいます。

片岡英明(以下片岡)/私もだいたい同じかな。軽いことと小さいこと。あとは鈴木さんよりもうちょっと積極的で、エンジンはOHVでもなんでもいい。

 イメージの話になっちゃうけど、軽くて走りがヒラリヒラリとしている。そういうクルマをライトウェイトスポーツだと思ってます。だから「走ってて楽しい」といっても510ブルーバードとかはちょっと違うかな、と。

鈴木/もうちょい下のクラスだよね。サニーとかチェリーとか。

コーリン・チャップマンの生み出したロータスエラ ンは、世界中のスポーツモデルに強い影響を与えた

片岡/そうそう。

石川真禧照(以下石川)/僕はいろいろ自分なりに定義を考えてみました。排気量は1.5以下だろうなとか、マニュアルミッションで走らせることができるものとか、そういう基準を考えてみて選びました。

編集部/それでは皆さんの「10ベスト」を参考にしつつ、時代ごとに見ていきます。まず'50~'60年代ですが・・・この時代は非常に明確ですね。トヨタスポーツ800は全員10ベストに入れており、ホンダS800は2名が選んでます。

片岡/わかりやすいがゆえに議論にならないよね。この時代は定義がハッキリしている。'70年代になるといろんな技術が出て多様化するから、まだ迷う余地があるんだけど・・・。

鈴木/'60年代までってさ、やっぱりクルマを作るメーカーにも、そのクルマを受け入れる社会のほうにも、余裕がなかった時代なんだよね。

 さっき言ったように「何かを捨ててスポーツカーにする」という発想でさ。ところが'70年代に入ると余裕が出てくる。捨てなくてもスポーツカーが作れるようになるんだよ。

 例えば真禧照さんの世代だとDOHCでも夢のシステムなわけですよ。大衆車に搭載されるなんて、考えられなかった時代だった。それが'70年代に入ると普通のクルマにも載るようになる。そういうことで多様化していくんじゃないかな。

石川/それから日本でも自動車メーカーが立ち上がると海外のメーカーを手本にするわけだけど、'60年代に日本でスポーツカーを作ろうって話になった時に、多くの人が「それなら英国を手本にしよう」って思ったんじゃないかな。

鈴木/それは大きいでしょう。今の団塊の世代よりちょっと上の世代、日本自動車界の創生期を支えてきた人たちって、ロータスエランにすごく影響を受けていると思う。

石川/そうだね。ロータスエラン、MG‐A、トライアンフTRあたり。

 こういうクルマに影響を受けて、「おー、スポーツカーってこうやって作るのか」と思って、ヨタハチやエスハチが出てきたんでしょう。'70年代に入ると技術力も上がってきて、もうちょいオリジナリティを発揮しようということで、同じスポーツカーでも方向性がいろいろと出てきたのだと思う。

編集部/もし'60年代に、英国車ではなくドイツ車やイタリア車を手本にしていたら、日本のスポーツカーの歴史は変わっていたんでしょうか?

鈴木/うーん、それはなかったんじゃないかな。ある程度の必然性はあったよ。というのも、当時日本では草レースが盛んになってきて、お金持ちがそこに参加する時に「買ってきてすぐ勝てるクルマ」って英国車だったんだよね。

石川/レーシングエランとか、そのままレースに出て、トヨタとか日産とかが作ったクルマよりも速かった。だから式場(壮吉)さんとかが欧州から買ってきてレースに出るわけです。

片岡/当時、船橋サーキットとかで開催されているレースの出場車を見ると、上位はロータスとかMGとかトライアンフとか英国車ばかりですよ。今考えると夢のようだよね。あの頃は英国車からたくさんのことを学んだわけだけど、今じゃ英国には自動車メーカーはひとつもなくなってしまい、工場があるだけだもんなあ・・・。

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