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有名人 僕は勉強ができなかった
新学期特別企画 偏差値40からだって、人生は拓ける

 落第生の中には、優等生より断然輝いているヤツがいる。彼らは学校の勉強の代わりに、何か別のことを学んでいる。勉強ができなかった有名人は、何を学んで道を拓いたのか。

体育以外はオール1だった

 小学校のテストでは、いつも名前だけ書いて答案を出していた。結果、通信簿は、体育以外はオール1。そんな少年時代を過ごしていたのが、ブリキのおもちゃ博物館の館長・北原照久氏(62歳)だ。

「僕は4人兄姉の末っ子です。上の3人はとても出来がよくて、成績はオール5。小学校の先生は、必ず兄姉と僕を比較しました。それで反抗をするようになったんです。『僕は兄さんや姉さんとは違うんだ』って。テストで名前しか書かなかったのはそのためです。先生には次第に疎まれるようになり、僕はとうとう学校に行かなくなりました」

 北原氏が通っていたのは都内の区立小。中学に上がるときは親が気を遣い、兄姉とは違う区立中学に越境入学の手続きをとった。

「でも、入学して最初のホームルームで、担任の先生から『君たちはほかのクラスの邪魔をしないでくれ』と言われた。僕らのクラスの生徒は、最初から劣等生扱いだったんですね。僕はやる気を失くし、昼間から盛り場を歩いては補導され、ほかの学校の連中を相手に喧嘩をするようになっていった。3年の2学期で退学になり、地元の中学校でどうにか卒業しました。

 当然勉強はしなかった。入れてもらえる高校なんてないと思っていたら、本郷高校が受け入れてくれました。『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の漫画家・秋本治さんや、水泳の北島康介選手など、個性的な卒業生を出している私立校です」

 この学校で、北原氏は百八十度変わることになる。3択ばかりのテストがあり、適当に答えを書いたら60点もとれた。すると担任の先生が「やればできるじゃないか」と誉めてくれたのだ。

「先生というのは、僕のことを悪く言う存在だと思っていたんですが、僕にこんな笑顔を見せてくれる先生もいたんです。嬉しくなって、次のテストに向けて初めて猛勉強をしました。すると今度は平均75点。担任の先生には『お前、天才じゃないか』と言われた。さらに勉強をして、気がつくと、一学年800人のトップに立っていたんです。卒業式では総代を務め、青山学院大学に進学しました」

 落第生が大変貌を遂げたのだ。北原氏を変えたのは、先生のひと言だったのだ。

「僕は勉強が好きになりました。ブリキのおもちゃをはじめとするコレクションに興味を持ったのは20歳の頃ですが、コレクションというのはある意味、勉強と同じなんです。モノがどんな歴史から生まれたかを調べ、整理して並べ、体系づけていく。そこには知りたいという欲求がある。勉強とよく似ています。今の僕があるのは、高校の先生のひと言があったからです。

 ところが、あとになって、その担任の先生に当時のことを聞いたら、こう仰った。『実はあれ、みんなに言ってたんだ』って。僕は先生の術中に見事にハマったんですね」