玄海原発が「プルサーマル」と「再稼働」で"第一号"となったのはなぜか?
「九州電力」HPより

 玄海原発が、また窮地を救ってくれた---。

 電力業界が、九州電力と玄海町に"感謝"のまなざしを向けている。

 「3・11」の衝撃的な福島原発事故から4ヵ月が経過、国民のみならず世界の関心が「フクシマ」に注がれるなか、事故処理は一進一退を繰り返し、どの国においても「脱原発」が本気で論議されている。

 その最中に、玄海町は運転停止中の玄海原発2,3号機の再稼働に同意した。古川康・佐賀県知事が容認姿勢を示していることもあり、玄海原発が再稼働の口火を切る可能性が高い。

 本音で早く原発を再稼働させ、電力の安定供給につなげたい電力各社にとってみれば、玄海町の大英断である。それだけの信頼関係を築いてきた九州電力とともに、感謝の念を"密か"に贈っている。

 しかも、玄海原発の"第一号"はこれで二度目である。

 日本の原子力行政は、使用済み核燃料を再処理、ウランとプルトニウムを取り出して使う核燃料サイクルを基本としている。ところが、高速増殖炉も再処理工場も本格稼働に手間取り、見直しを余儀なくされた。

 "つなぎの策"として採用されたのが「プルサーマル計画」である。ウランとプルトニウムの混合酸化物のMOX燃料を原子炉で燃やし、燃料効率を上げるとともに、プルトニウムを消費、核燃料サイクルを堅持しようというもの。

 だが、通常のウラン燃料より取り扱いが難しいMOX燃料には反対が多かったし、一度は「プルサーマル計画」に同意していた福島県が、02年に発覚した東電の「事故隠し」に反発、白紙撤回するなど計画は暗礁に乗り上げた。

 この事態を解消したのが玄海原発だった。

原発によってよみがえった過疎の町

 九電は、04年5月、玄海原発3号機への導入を計画、県と町に「事前了解願い」を提出、06年3月に県は周辺市町村の意見も調整のうえで、「プルサーマル計画」を「了解」したのだった。

 その後、MOX燃料が運び込まれ、各種試験を重ねたうえで、09年12月2日、日本初の営業運転開始に漕ぎ着けた。

 この計画を推進するために、どれだけ九電が"努力"しているかを、私はこのコラム(「電力マネーで創立された早稲田佐賀学園とプルサーマルの関係」6月2日号)でお伝えした。九電は創立資金22億円の内の20億円を早稲田佐賀学園に寄付、唐津市が切望する中高一貫の名門系属校が、10年4月、開校したのだった。唐津市は玄海町に隣接、意見調整が求められる自治体である。

 そのほか九電は、10年4月、「佐賀国際重粒子腺がん治療財団」に39億7000万円を寄付、地元との関係重視を鮮明にした。

 原発が立地する自治体への手厚いケアは、今や周知の事実となっている。原発によって蘇った「過疎の町」は少なくない。

 玄海町は、1960年代に原発が誘致されなければ、間違いなく「さびれゆく漁村」となる運命だった。だが、原発立地が決まって工事が始まり、第1号機が1970年に完成、原発と共存共栄する町となった。

 07年度から09年度までの3年間に、電源立地交付金と固定資産税で124億5100万円を受け取り、歳入に占める割合は53・2%だった。この豊富な収入によって人口6500人の町は、公共工事の削減に怯えることのない豊かさを享受している。

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