こんなことが許されるのか 現地対策本部は「住民を見捨てて逃げた!」12マイクロシーベルトの汚染が判明し、翌日にトンズラ

2011年07月02日(土) フライデー

フライデー経済の死角

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取材に応じる広野町の山田町長。避難住民を受け入れてくれた自治体への感謝を何度も繰り返し述べていた〔PHOTO〕岡内正敏

「12日に20km圏内の地域に避難指示が出た時点で、うちにも避難指示が出るだろうと思い、準備を始めました。ですが、いくら県にお願いしても避難先を見つけてもらえませんでした」

 周知の通り、第一原発は12日に1号機が、14日に3号機が水素爆発を起こし、大量の放射性物質をまき散らした。しかし政府は当時、「ただちに健康には影響はない」と繰り返すばかりで、避難区域を20km圏内から広げることはなかった。

 結果的に、葛尾村は14日に自主避難に踏み切ることになるのだが、松本允秀村長(73)にそれを決意させたのは、前述の現地対策本部の〝撤退〟であった。だが、松本村長に対策本部から撤退の連絡が入ったわけではない。

「オフサイトセンターが撤退を始めたと知ったのは14日の午後9時頃です。地元の消防職員が教えてくれたのです。息を切らしながら役場内の災害対策本部に入ってきて、『消防無線で聞いたんですが・・・』と伝えてくれた。それを聞いて村長は決断しました」(前出・総務課長)

 なんと、対策本部が逃げ出したことを、消防の職員から聞かされたというのだ。これでは、自治体の適切な行動を指示すべき立場にある現地対策本部が「職責を放棄してトンズラした」と言われても致し方ないではないか。

 松本村長は「避難すっぺ」と呟き、そこからの行動は迅速だった。前日の早朝から用意していたバスに移動手段のない村民約150名を乗せ、村役場を出発した。

住民を救った町長の行動

 本誌は、福島県庁内に移設された現地対策本部に、撤退に至る経緯を聞いた。回答は以下の通りである。

「オフサイトセンターには非常用ディーゼル発電機が備えてあったのですが、地震や津波の影響で電源を確保できない状態でした。12日に電源は復旧しましたが、固定電話、携帯電話ともに不通の状態が続きました。また、14日に計測した放射線量が毎時12マイクロシーベルトと高かったため、福島県庁に移転することを決めました」(広報班担当者)

 12マイクロシーベルトは確かに高い線量である。だが、それが撤退の一つの理由となるのなら、まだ避難指示が出されていない自治体の放射線量がどの程度なのかを把握し、避難の要・不要を伝えた上で、初めて対策本部が撤退へと動くべきではないか。ちなみに、彼らが撤退した翌日の3月16日には、田村市(第一原発から約25km)で毎時80マイクロシーベルトという高い数値が記録されている。だが、この地域がようやく緊急時避難準備区域となったのは、1ヵ月も経ってからであった。

 より原発に近い20km圏内の自治体はどんな状況だったか。かろうじて避難指示の連絡が入った自治体もあったが、迅速な避難を実現させたのは、やはり町長らの決断と行動だった。

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