創業1893年、銀粒の仁丹で圧倒的な知名度を誇る『森下仁丹』。"老舗病"に見舞われ業績が低迷する中、'06年に社長に就任したのが駒村純一氏(60歳)だ。三菱商事時代に培ったビジネスセンスで、わずか3年で再建への道筋をつけた。「百年人生を応援する」を合い言葉にした新商品の開発で、歴史は次のステージへ。
幼少期
東京・神田生まれの神田育ち。実家はガラス製の比重計や温度計の製造・販売をしていました。家には住み込みのガラス細工の職人さんもいて、よく遊んでもらいましたよ。
日大芸術学部を卒業し、小説家になりたかったという父は、子供のことには一切口出しをしない人。自己主張が強く、気丈な性格の母が商売を仕切っていました。兄弟は3つ違いの弟が一人です。

小さい頃から負けず嫌い。社長に就いて4年、やっと手ごたえを感じてきましたこまむら・じゅんいち/'50年東京都生まれ。'73年、慶応義塾大学工学部応用化学科卒業後、三菱商事株式会社入社。
'96年、三菱商事イタリア事業投資先Miteni社、代表取締役社長に就任。
'03年、執行役員として森下仁丹株式会社に入社。'06年、代表取締役社長に就任
慶応ボーイ
ちょうど受験戦争の走りの頃で、教育熱心な母の影響で、小学校は私立への進学率の高い日本橋の常盤小学校へ越境通学していました。
負けず嫌いの性格なので、友達と順位を競争するのが楽しくて、自分で言うのもなんですが勉強は好きでしたね。中学校は開成と慶応を受験して両方合格。
開成は坊主で切りつば帽子のバンカラなスタイル、対して慶応は2年生まで詰め襟に半ズボン。体が大きかったので、半ズボンはちょっと・・・と思いましたが、大学までの一貫教育にも魅力があり、2日間悩んで慶応を選択しました。ませた子供でしたね。
商社時代
就職では化学メーカーを希望しましたが、4年生時はオイルショックで、化学系の会社は新入社員の採用を手控えていた。
あれこれ迷っているうちに、就職戦線に出遅れてしまい、どうにか三菱商事の募集に間に合い応募。
当時は商社がバイオや化学の分野に仕事を広げ、専門的な知識が活かせる職場になり始めていた頃でした。
早婚
商社では英語が必須と思い、内定してすぐに英会話を習うことにしたんです。教えてもらっていた先生のお宅の大家さんの娘さんと付き合い始め、入社2年目に結婚。早い? 海外赴任は既婚が条件だったので、できるだけ早く結婚したかったんです(笑)。
海外赴任
入社後は工業薬品やファインケミカルの分野に配属された後、'81年の1月から7年間、イタリア・ミラノに赴任しました。4歳と2歳の娘を連れての赴任でしたから、娘の学校のことなど、慣れない初めての海外生活で大変でした。それでも、家族でスイスやフランスなどあちこち旅行に出かけたりして楽しかった。
また、駐在員は仕事関係のお客様のアテンドも重要な仕事のひとつで、イタリアの観光名所は旅行代理店の添乗員より詳しくなりました。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は何十回と見ましたよ。
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