残暑の中、日本近代史を振り返る

 大学で政治学を研究し、そのまま研究者の道を歩むことを決めたとき、政治学理論か日本政治史を専攻するつもりであった。だから、東大法学部助手就職のための論文タイトルは、「吉田茂の政治指導」であった。

 今、産経新聞の日曜日にその伝記が連載されている辰巳栄一中将に直接お話を聞き、論文執筆の参考にさせて頂いたことなども懐かしい思い出である。

 しかし、講座制の定員枠などの問題があって、ヨーロッパの政治史に鞍替えし、結局はフランスに留学して学問を続けることとなった。

 第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の国際政治史をフランス中心に研究してきた。なぜ、世界はヒトラーの独裁を阻止できなかったのかという問が、研究の原点であった。

 私がパリ大学の大学院で勉強していた35年前は、まだ戦間期に活躍したフランスの政治家が存命で、彼らにもインタビューをした。ドゴール将軍の側近政治家などはまさに世界を動かすリーダーとはこうあるべきだという感じがした。

 20代の若い頃に、政策決定に直接かかわった政治家や軍人と親しく交際することができたことは、その後の私の人生に大きな財産となっている。

 ヨーロッパで仕事をすると、当然、ヨーロッパ人から日本のことを訪ねられる。政治経済のみならず、音楽、美術など文化、文明の知識が必要で、柔道有段者であることも、大いに役立った。そのため、外から日本を見つめ直す機会を与えられたと言ってもよい。

 そこで、帰国後は、本職のヨーロッパ政治に加えて、日本近代史の研究も細々と続けていった。それは、大臣の激職あったときも変わらず、公務が終わって帰宅すると、歴史資料に当たりながら、幕末明治維新から今日にいたるこの国の歩みを振り返ってきた。

 今、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」の影響もあって、当時の歴史がブームになっている。しかし、欧米列強に植民地化されることなく近代化を遂げた日本の光の部分だけではなく、その後、無謀な戦争へと突入し、破滅への道をひた走った歴史もまた検証すべきであろう。

 維新の群像で言えば、西郷隆盛や高杉晋作は、旧体制を破壊することには長けていたが、新しいシステムを作り上げることについては、あまり得意ではなかった。それは、大久保利通、そして伊藤博文や山県有朋が苦労して成し遂げて仕事である。

 伊藤博文によれば、西郷南洲は「とにかく大人物であったが、むしろ創業の豪傑で、守成の人ではないようだった」し、高杉晋作も「西郷南洲と同じような型だった」という。

 今年は、日韓併合100年であるが、初代朝鮮総監の伊藤博文は、朝鮮の近代化を目指しており、植民地化には反対であった。これは、最近の研究(たとえば、伊藤之雄『伊藤博文、近代日本を創った男』)でも明らかになっている。そのような歴史研究をさらに進める中で、日韓関係もより成熟したものとなるであろう。

ハングルのルビがあった父の選挙ポスター

 戦前の福岡県若松市で吉田磯吉の庇護の下で立候補した父の選挙ポスターにハングルのルビがふってあった。当時の大日本帝国では、朝鮮半島出身者に参政権も非参政権もあったからであり、投票もハングルで可能であった。だから、彼らが読めるようにハングルの表記も付け加えたのである(拙著『私の原点そして誓い、遠距離介護5年間の真実』参照)。

 このような歴史的事実は、日本でも韓国でもほとんど知られていない。第一次資料に基づいてさらに研究を進めるべきである。

 今年は、北九州の作家、火野葦平没後50年であるが、むしろこの作家の作品のほうが、偏見に満ちた歴史書よりも当時の日本の状況をよく描写している。

 たとえば、『美しき地図』(昭和16年刊行)の中に、「半島人」青年が、同じ半島人が立候補したため、日本人の候補者に投票できなくなって困りきるシーンが出てくる。このような庶民の生活史を解明していくなかで、歴史を見直す必要がある。

 今後も、折に触れて日本近代史について書いてみるが、政治家たるもの、少しは静かに読書し、ものを考える時間を持つべきではないか。今の選挙制度がそれを許さないものとなっているのなら、やはり制度を変えるべきではないか。歴史に通暁しない政治指導者を戴くことは、国民にとって不幸である。

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