雑誌
加賀乙彦[作家] 自分らしく幸福に死ぬために必要なこと
軽井沢の自然に抱かれて生と死を想う

 ここには、命と向きあう心ゆたかな時間がある。
作家であり医師であり信仰の徒である加賀乙彦さんに、軽井沢の自然が教える生の歓び、そして死の作法についてうかがった。

自然ゆたかな追分で共にすごした、今は亡き作家仲間たち

 軽井沢に別荘を建てたのは、1974年の夏。当時200坪だった敷地は、売りに出た近隣の地所を少しずつ買い足して、今は800坪になりました。庭の半分はほとんど手を入れず、自然のままの雑木林です。

 ここを散歩するのが何より楽しくて。年の3分の1は、この地で過ごしていますね。最初から一年中暮らせるように作った家です。

 軽井沢には、学生時代から来ていました。僕みたいな貧乏人は、旧軽井沢じゃなくて物価の安い、この追分のあたりに来ることが多かったですね。安下宿にひと夏いて勉強するのが習慣になっていたんです。

 どうして軽井沢なのか。やはり、ここの自然に惹かれてですね。

 子どものころ、僕は新宿の西大久保に住んでいたんです。いまでいう歌舞伎町のあたりなんですが、当時は緑が多くて自然が豊かな場所だった。ここはそういう生活を思い出させてくれたから、居心地がよかったんでしょう。

自然のままの雑木林を残した別荘の庭を散歩するのが何より楽しい

 そんなわけで、軽井沢に別荘をという思いは若いころからずっとありました。でも、ずっと医者をやっていたから、とにかく忙しくて。'69年に上智大学の文学部で教えるようになって2ヵ月の夏休みができたので、これ幸いと貸別荘を使うようになりましたが、滞在のたびに荷物を運ぶのが面倒でしたね。自分の別荘が欲しいなとは思っていたけど、先立つものはなし。

 そしたら、'73年に出した小説『帰らざる夏』が売れたんです。そこでまとまった収入があって、すぐ別荘を建てちゃった(笑)。印税で別荘を買えたんだから、いい時代でしたね。今も近くに住むフランス文学者の鈴木道彦さん[*1]が、ここを教えてくれました。

 ちょうど同じ年に、原卓也さん[*2]もこの地に別荘を建てた。それまで面識はなかったんですが、ご近所にロシア文学の大家がいると聞いたので、訪ねていって、かねてから疑問に思っていた問いをぶつけてみたんです。「トルストイはスケートが滑れたか否か」

加賀乙彦かが・おとひこ
1929年、東京生まれ。東京大学医学部医学科卒業。東京拘置所医務部技官を務めた後、精神医学および犯罪学研究のためフランスへ留学。帰国後、東京医科歯科大学助教授、上智大学教授を歴任。日本芸術院会員。近著『不幸な国の幸福論』ほか、『悪魔のささやき』『帰らざる夏』『宣告』『永遠の都』『死刑囚の記録』など著書多数。 〔PHOTO〕大崎聡(以下同)
*1 鈴木道彦:
フランス文学者。1929年~。訳書にプルースト『失われた時を求めて』など

*2 原卓也:
ロシア文学者。1930~2004年。元東京外国語大学学長。トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフなどの訳書多数