霞が関の「本格的抵抗」が始まった
2010年は「動乱の年」になる(前編)

 昨年8月末の総選挙で民主党が自民党に勝利した。戦後、選挙によって野党が政権を取ったのはこれが初めてのことになる。

 自民党が与党を転落した例は過去にもあった。1993年の総選挙後に誕生した細川連立政権がそれだ。だが自民党はこの時もまだ衆議院第一党であった。つまり有権者は選挙の時に、「自民党のお灸を据えてやろう」と思っただけであり、本気で政権交代をしようとしていたわけではなかった。七党一会派による細川政権が誕生は、あくまで新政党代表幹事だった小沢一郎の卓抜したアイデアと行動力があってこそ達成できたものだった。

 それと比較してみると、現在の鳩山政権はまったく様相が違う。鳩山政権は、国民自身が「政権を変えよう」と意識的に投票した結果誕生した政権だ。その意味で現政権は、文字どおり画期的な政権と言っていいのである。

 だがその選択の本当の重要性を、当の国民自身がまだよく理解していないのではないだろうか。

 昨年12月、中国の習近平国家副主席が天皇陛下と面会したが、面会前からその是非を巡って世論は紛糾した。外国との賓客との面会を天皇に願い出る場合には、面会希望日の1カ月前までに内閣から宮内庁に願い出るという、いわゆる「30日ルール」なるものが宮内庁にはあるという。そのルールを侵してまで、鳩山政権は強引に天皇を習近平と合わせようと宮内庁にプレッシャーをかけ続けた。羽毛田は記者たちにこう説明した。

「私としては、誠に心苦しい気持ち。こういったことは二度とあってほしくない、というのが私の切なる願いだ。大きく言えばそういうこと(天皇の政治利用に繋がりかねない事態)だろう」

 世論は一気に沸騰した。平野官房長官にこの面会をゴリ押しさせたとされる小沢幹事長は批判されて当然である、そして正論を述べてこの民主党の態度を批判した羽毛田信吾宮内庁長官は、まさに信念の人だ――というのが、大方のマスコミと世論のようだ。